ザ イエロー モンキー jam。 JAM/Tactics

THE YELLOW MONKEY

ザ イエロー モンキー jam

左上から時計回りに吉井和哉、菊地英昭、菊地英二、廣瀬洋一。 1988年に結成し、1992年5月21日に「」でメジャーデビュー。 2001年1月8日に活動停止を発表後、2004年7月7日をもって解散。 その後、2016年1月8日に再結成された。 デビューからのCD総売り上げ枚数は、シングル・アルバム合わせて1,000万枚以上。 かつての公式ファンクラブは「 Petticoat Lane」。 再結成後の公式ファンクラブは「 」。 メンバー [ ]• (よしい かずや、 - )• ・ギター担当。 愛称・ロビン(LOVIN)。 静岡県育ち。 ほとんどの楽曲の作詞作曲を行っている。 解散後はYOSHII LOVINSONとしてソロ活動を行い、2006年からは再び吉井和哉名義に戻して活動している。 ジャパニーズメタルバンドのアーグ・ポリスでベースを担当していた。 (きくち ひであき、 - )• 愛称・エマ(EMMA)。 東京都出身、応用地学科卒業。 一部の楽曲では作曲も行っている。 現在はソロプロジェクト「」の他、様々なアーティストのサポートメンバーとして活動している。 (ひろせ よういち、 - )• 愛称・ヒーセ(HEESEY)。 東京都出身、中退。 一部の楽曲では作曲も行っている。 2008年からはTYOのベースとして活動している。 ジャパニーズメタルバンドMURBASでも活躍。 (きくち えいじ、 - )• 愛称・アニー(ANNIE)。 東京都八王子市出身、、精密機械工学科卒業。 菊地英昭の実弟。 2008年からはアニー名義でBIG BITESのドラムとして活動している。 サポートメンバー [ ]• (みくに よしたか、 - )• 出身、卒業。 4thアルバム『』から制作・ライブ演奏のサポートメンバーとして活動していた。 鶴谷崇(つるたに たかし、 - )• 兵庫県神戸市出身、の音楽学部ジャズ科卒業。 1999年にとしてデビュー。 2002年より活動休止。 2006年からは吉井のソロ活動にサポートキーボーディストとして参加。 2016年からTHE YELLOW MONKEYのサポートメンバーとして活動開始。 影響 [ ] 吉井はやなどのジャパニーズメタルバンドから影響を受けている ほかデヴィッドボウイやミックロンソンなどグラムロック系のアーティストからも強い影響を受けている。 4人全員が元ジャパニーズ・メタルバンドのメンバーだったのだが、メジャーデビュー後はヘヴィメタル、ハードロックから一歩距離を置いた方向性に進んでいる。 バンド名 [ ] バンド名の「 イエローモンキー」とは、主に西洋圏で使用されるに対する蔑称である。 吉井が自身のイニシャルである「Y」から始まる英語を辞書で探していたことがきっかけで、「ダサくてシニカルな名前にしたい」と考えていた吉井によって、結成前に発案されていたという。 また、その名称からがバンド名を初めて聞いた際、「すげえ名前だな。 絶対忘れねえ」と語ったエピソードもある。 吉井は名称に込められた思いとして「洋楽へのコンプレックスがあった」ことを語っており、「日本のロックにこだわりをもっているが、『日本のロック』という言葉には既に洋楽へのコンプレックスがあり、それは永遠に消えない」としている。 また、「ルックスが良くて長身なのが『イエローモンキー』のコンセプトで」とし183cmの吉井初め全員が長身である。 略称 「 イエモン」の略称がメディアやファンを中心に用いられている。 デビューして間もない時期に、音楽誌のライターが「『』と略すことと同じ感覚で」名付けたことがきっかけである。 2013年に発売されたベストアルバム『』は、長く応援し続けてくれたファンにも「イエモン」という略称を受け入れてもらうため、最もわかりやすい愛称としてタイトルに相応しいのではという意見がメンバーやスタッフから上がり、満場一致で「イエモン」がタイトルとして採用されることとなった。 なお、メンバー自身は「イエモン」の略称を使用することがなく 、吉井とドラムの菊地は「今でも(2019年当時)コアなファンは略さない人が多い」と語っている。 ベースの廣瀬は「ファンの中には『メンバーがこの略称を嫌がっている』と思っている人がいるかもしれないが、決してそんなことはない」と語っており、「(上記の)ベストアルバムにも僕らから『イエモン』と使っていますし、名称としては気にしていない」としている。 来歴 [ ] この節に。 事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または。 ( 2009年5月) 結成〜ブレイク [ ] 結成、デビュー 1988年に結成。 当初は元SHOCKの松尾賢一がボーカル、元URGH POLICEの吉井がベースを担当していたが、以前から親交のあった元MURBASのをメンバーに誘い、吉井はギターに転向した。 さらに「KILLER MAY」のドラムとして1986年にメジャーデビューしていたが同バンドの解散後に加入する。 後に松尾が吉井との「音楽的な意見の食い違い」を理由に脱退したため吉井がボーカルに転向し 、「KILLER MAY」のギターとして活動していた英二の実兄・が加入。 1989年12月28日に現メンバーで初めてのライブを行う。 当時はのライブハウス「」を拠点に精力的なライブ活動を行っていた。 バンド初期は、、などを彷彿とさせる色が強く、メンバーが奇抜な衣装に派手な化粧をしたりするなど後ののようなルックスをしており、ヴィジュアル系を取り扱う雑誌やライブイベントにも参加していた。 当初の観客動員は好調であったが、ダークな楽曲が中心だったこともあり徐々に動員数は減少。 しかし、グラムロックイベントにて「SLEEPLESS IMAGINATION」(『』収録曲)を初披露して以降、動員数は増加した。 ベースの廣瀬は「ダーク色もありつつ、デヴィッド・ボウイのような煌びやかさをミックスしたグラムロックを鳴らし始めたからこそ、動員数が増えたのかもしれない」としている。 また、吉井がライブで女装をし、キャラを演じることにより当初苦手だったMCが「面白い」と評判になったことも動員数増加の後押しとなった。 当時の観客層は9割女性だったという。 メジャーデビュー 1992年5月21日、より1stシングル「」でメジャーデビュー。 レコード会社はとの2社間で決めかねていたものの、吉井がある日見た夢にが現れ「『あとは任したわよ』って言われた」ことを決定打とし、コロムビアへの所属を決定することとなった。 1か月後には1stアルバム『』をリリースした。 だが、枚数は思うように売れずオリコンチャート圏外となり、インディーズ時代からのファンにも酷評を浴びるなど芳しくなく、後に吉井も「(所属事務所の)社長もどう売っていいのか分からなかったと思う」と語っている。 しかし、ライブの動員数はイベント出演なども手伝って伸び続け、チケットは毎回完売状態だった。 1993年4月にはで初のホールライブを実施。 同ライブでは、両手を縛られ頭に袋を被せた裸の女性2人をステージに出す衝撃的なオープニング演出を行った。 当時、日本コロムビアのディレクターだった宗清裕之はセールスが伸び悩むことを危惧し、「もっとコマーシャルな方向に行こう」と提案した。 その一方、吉井は「この先もバンドを続けていく上で、1回はコンセプトアルバムを作りたい」と語り、1994年3月にコンセプトアルバムとして3rdアルバム『』をリリースする。 吉井は本作の主人公である「ジャガー」になりきるため、髪を丸坊主の軍人カットにした。 春、夏、冬と3本のツアーを通して1年がかりで「恋人マリーと出会う」というストーリーの結末に向け、通常のMCを廃した独自のステージを展開した。 観客動員は軒並み上がっていったが売り上げ枚数は伸び悩み、吉井は「なんでライブはみんな虜になってくれるのに、音源に関してはそうならない? 」と悩んだという。 観客動員が良かったこともあり、ツアーの終盤に翌年公演が実施されることが決定する。 この年には『』3月号の表紙を飾ったが、抜擢した副編集長の井上貴子は後に「当時もまさかの表紙で、業界の波紋を呼んだ。 だからこそやってよかった、といまだに思える一冊」と述懐している。 路線変更、ブレイク デビュー以降思うようなセールスを残せなかったことで、メンバーはスタッフとミーティングを重ねた。 ディレクターである宗清との「10万枚で終わるか、オリコン1位を目指すのか」という話し合いに、メンバーは「オリコン1位を目指す」という答えを出し、これを機にしてチャート向けな楽曲作りに路線変更する。 1995年1月にリリースされた5thシングル「」はヒット曲を意識して作られ、目論見通り自身初のオリコンシングルチャートTOP30入りを果たし、スマッシュヒットを記録。 同年2月にリリースされた4thアルバム『』はオリコンアルバムチャート初登場4位を記録し、大幅に売上はアップした。 このアルバムを引っさげ、同年4月に初の日本武道館公演を実施し、即日完売するなど順調に人気を上げていく。 同年7月にリリースされた7thシングル「」がシングル初のTOP20入り、同年9月にリリースされた8thシングル「」がシングル初のTOP10入り、でレコーディングされた5thアルバム『』が念願のオリコン初登場1位を記録するなど、バンドの人気を確実なものとする。 帰国後まもなく始まったツアー「TOUR '95 FOR SEASON」ではトータルで9万人を動員した。 1996年2月にリリースされた9thシングル「」が累計80万枚(公称。 オリコンでは約60万枚)、同年7月にリリースされた10thシングル「」が累計55万枚を超えるヒットを記録する。 ファンハウス時代 [ ] レコード会社移籍後 「SPARK」リリースの直後、1996年7月に日本コロムビアを離れて(現・)に移籍。 吉井は移籍に関し「『ちょっと違うレーベルでやってみたいね』っていうことだった」「色々折り合いがつかない部分が出てきた」ためと後年に振り返っている。 同年の12月には日本コロムビアから非公認『』が発売され、バンド唯一のを記録した。 ファンハウス移籍後は独自のロックを追求。 吉井は6thアルバム『』の制作にあたり、「1日3曲録音をノルマ」とする。 作成した300曲を80曲に絞り、さらに厳選したものを収録曲とした。 吉井は当時の状況を振り返り「自分の中で、音楽がものすごく噴出してるのがわかった」と語っている。 『SICKS』は吉井自らが最高傑作と自負する作品となり、オリコン初登場1位、オリジナルアルバムでは自身最高の売上を記録した。 11thシングル「」、12thシングル「」、13thシングル「」(公称累計90万枚。 オリコンでは約66万枚)など、シングルにおいても、いずれも45万枚以上の高いセールスをキープ。 14thシングル「」は、シングルでは自身唯一のオリコン初登場1位を記録するなど、この時期に最も安定した人気を保つことになる。 1997年は精力的なライブ活動を行い、2月には20公演を回る「ARENA TOUR '97 "FIX THE SICKS"」を実施し、トータル15万人を動員。 同年7月に「」に参加()。 同年8月、全国5会場のスタジアムツアー「TOUR '97 〜紫の炎〜」を実施し、4万人近いキャパシティを軒並みソールドアウトにした。 PUNCH DRUNKARD TOUR 1998年にリリースされた7thアルバム『』では、3作連続となるオリコン初登場1位を記録。 ハードロック寄りとなり、ライブを強く意識したアルバムとなった。 その一方で吉井は「世田谷のスタジオでデモを録ったんですよ。 (中略)音も良かったし、勢いもすごかった」「(ロンドンでレコーディングを開始したら)なんか上手く行かない。 あのデモを超えられない」といったスランプ状態に陥り 、「今まで上昇していたバンドが下降し始めた感じ」を実感していたという。 同年1月7日の紙上で、14thシングル「球根」と『PUNCH DRUNKARD』のリリース情報とともに、全113本のツアー日程が全面広告で掲載された。 3日に1回のペースでライブを行ったツアー以外の面でもメンバーは多忙を極め、ツアー中に計4枚のシングルをリリースし、それに伴うレコーディング・PV撮影・TV出演、同年7月にはイギリスでのライブを実施、翌年に公開されたの監督映画『』の撮影、同年12月28日には「メカラ ウロコ・9」を行うなど、精力的に活動を行った。 数々のアクシデントにも見舞われ、同年9月9日の香川県県民ホールのライブ終了後、過労によって倒れた吉井が病院へ運ばれる事態に。 年始一発目の1999年1月9日には音響スタッフがステージの「奈落」に落下して死亡するなど、メンバーにとっては精神的・体力的にもハードなツアーとなった。 選曲の面でも吉井は苦悩し、前半のホールツアーは「洋楽志向のチャレンジ」として『PUNCH DRUNKARD』のアルバム曲が中心であったが、ツアーラストである1998年10月6日の岡山市市民会館で、吉井が「このツアーは失敗でした」と発言。 後半のアリーナツアーからは「エンターテインメントに戻す」とし、アルバム曲を控えて過去のヒット曲を中心に演奏するようになった。 吉井は後に、1999年3月10日にで行われたファイナルを「覚えてない。 お客さんが見えていない」 、ツアー全体を「ひたすら打たれ続けてた感じ」と表現した。 「PUNCH DRUNKARD TOUR」は延べ55万人を動員し、1年間の経済効果は、グッズ・チケット・CDなどの売上を合わせ、100億円以上になるという。 このツアーのドキュメントとして、2013年9月28日に『』が公開されている。 外部プロデューサー導入 「PUNCH DRUNKARD TOUR」終了後、吉井は休養期間にシングル候補曲を10曲制作した。 さらにバンドサウンドを見直すためのミーティングが行われ、シングル作品に、、などの外部プロデューサーを導入する「コラボレーションシリーズ」を行う。 吉井は「とにかくバンドを続けていくため、2000年はシングルを多くリリースする」という方針に決定。 その理由として、「長期間休んだ後に良いものを作れる自信がなかった。 バンドの色々なことを一つずつ直していきたかったから」と語っている。 後に吉井は「自分の楽曲を他人に委ねることは、よく考えれば、もう終わったってこと」 とし、この時期の活動へ否定的なスタンスに立っているが、反面「このまま手癖で続けるわけにもいかず、30代、40代とバンドを続けていくために必要なことだったのも事実」ともした。 また、招聘したプロデューサー陣は「このままがいい」などとし、バンド・吉井の狙いとは裏腹にサウンド面へ変化をもたらすディレクションはあまり受けることはなかったという。 「俺をクビにしてくれ」 8thアルバム『』の楽曲のレコーディングのためにロンドンへ向かった際、当時メンバーが多忙だったこともあり、スタジオに吉井一人しかいないという状況が続く。 メンバーとの温度差を感じ始めた吉井が、帰国後の2000年3月18日にバンドの所属事務所ボウィンマン(BOWINMAN)に社長含む関係者を集め「俺をクビにしてくれ」と頼み込み、バンドへの不満を投げかけた。 バンドは存続したが、「微妙な距離感が生まれた」と吉井は語っている。 ただし、後に廣瀬は「俺をクビにしてくれ」という発言の直後に「そりゃねえだろ! 」の突っ込みを廣瀬が入れるなど雰囲気は決して暗いばかりではなかったと語っている。 吉井の発言の後、事務所は沈黙が続いたが、そこへコロムビア時代の担当者である中原繁の訃報の電話が鳴った。 中原はかつて「JAM」を懸命に売り込みヒットに導いた。 それまでのヒット路線を逸脱する「JAM」をコロムビアは容易に認めなかったが、そのコロムビア社内にあって中原は奮闘し、『』にバンドを引っ張り「JAM」を歌わせた。 中原の急死を伝える電話により解散の危機は回避され、「少し休もう」と、THE YELLOW MONKEYは活動休止期間に入ることになった。 活動休止に向けて 2000年7月にリリースされた22ndシングル「」、同年7月にリリースされた8thアルバム『8』は吉井のセルフプロデュース作品となった。 『8』のアルバムツアーは行われず、バンドは初となる国内ロックフェスに参加。 しかし、そこでの吉井はノーメイクでジャージ姿という格好で出演。 「はたから見ても異常、イエローモンキーを引き受けていない」状態であった。 同年12月30日、『年越しプレミアライブ』に緊急生出演。 吉井が「ツアーが終わったら、俺たちプー太郎になっちゃうけど…」とコメントした後、23rdシングル「」を披露し番組のトリを飾る。 これが活動休止前の実質THE YELLOW MONKEYとしての最後のTV出演となった。 2001年1月8日に初の公演となる「メカラ ウロコ・8」を行う(詳細は後述)。 吉井は「最後の東京ドームのライブは死んでた。 (中略)なんの気持ちの昂りもなかった」「とにかくこれをやったら終われる。 やっと休める」といった気持ちを持っていたという。 初の大舞台にも関わらずメンバーはステージ裏で円陣を組んだり会話をしたりすることもなく淡々としており、「振り返ると、それだけモンスターバンドだったんだなあと。 (中略)もう本能でやれる」と胸懐した。 活動休止〜解散 [ ] 「メカラ ウロコ・8」終了後にバンドを活動休止させ、メンバーはそれぞれソロ活動期間となる。 ファンは活動再開を待ち望んだが、2004年7月7日に解散を正式発表した。 吉井は「解散を伝えたその日に会って、近況を聞いてみたら、皆それぞれやりたいことがあって、バンドに戻れる状態じゃないと思った。 各々好きな事をやりながら、年に一回アルバムを作ってライブをするという意見もあったけど、僕にとってこのバンドっていうのは、それじゃ駄目だった」「疲れもあるけど、メンバーがどうこうなんて言えない。 バンドを解散させるのは辛いし、メンバーは最高だから、別れるのは寂しいし、心細いんだけど、とにかく解散は僕の我儘で、僕の責任」と語った。 逆に、他のメンバーからは「吉井を追い込ませて、感情を吐き出させてやれなかった」「もっと力になってやりたかった」など、互いを擁護する発言が目立った。 同年12月26日、東京ドームで開催された「THE EXHIBTION AND VIDEO FESTIVAL OF THE YELLOW MONKEY メカラ ウロコ・15」の最終日にメンバーが再集結し、9thシングル「JAM」を演奏した。 会場中が合唱の中、吉井は「ずっと歌ってて下さい」と言い残し、メンバーは去った。 実は去り際にマイクオフの状態で吉井が「ありがとう」と言っているが、会場にはほとんど聞こえていなかったため、物議を醸した。 後に吉井は「マイク通してはね、ダメだったの。 言っちゃったらほんとに最後というか…。 だからもしかしたら僕の中でイエローモンキーは成仏してないのかもしれない」という心境だったことを明かし 、また「JAM」を演奏した後に「THE YELLOW MONKEYは終わりません」というMCを吉井自身も期待していたが、「バンドは完全に終わっているんだということを、演奏しながら感じちゃった」という。 再集結 [ ] 解散期間中の活動 バンド解散後、各メンバーはソロミュージシャンとしての活動を継続。 特にフロントマンの吉井は大規模なツアーを行うなど精力的に活動する。 THE YELLOW MONKEYとしても、解散後にもかかわらず公式ウェブサイトが開設された。 吉井はソロ活動で2007年に「"JAM" 以来」の「空気感が出せた」シングル「」をリリースし、このの中では「JAM」の映像が使用されている。 解散中も様々なミュージシャンがTHE YELLOW MONKEYの各曲をカバーし、披露した。 バンドへの『』はファンハウスを引き継いだレコード会社から2009年にリリースされた。 2013年に吉井が「来年から、普通じゃない野良犬に戻ります」を宣言しファン投票ベストアルバム『』(コロムビア)の発売・アルバムリマスター盤の発売・過去のライブDVDのリリースなどが行われた。 解散からの年月は色々なわだかまりを消し去り、吉井はファンが待っていることも分かっていた。 吉井はので2013年7月6日と7月13日に開催されたの歴史的ライブを観た。 バンドが宝であると改めて思った。 吉井は、もう一回バンドをやってほしいと、かつてのメンバーにロンドンからメールを送信した。 その頃の吉井は「憧れのレーベル」 であったからソロの諸作品をリリースしていたが、2014年11月18日に古巣コロムビアへの移籍を発表した。 それとともにレアコレクションの発売が敢行された。 また、同じページには英字の暗号文章が記載されており、インターネット上では様々な憶測を呼んだ。 そしてカウントダウン当日の1月8日午前0時、公式サイトにて再集結とともに全国ツアー、新ファンクラブ発足を発表。 同年元旦より東京・JR渋谷駅前の東急百貨店壁面に「金色のさなぎ」の写真入りポスターが、1枚毎めくられる形で貼られており、8日の午前0時に再集結を知らせる告知が現れた。 各種スポーツ新聞では号外が配られたほか、「イエモン、サル年に復活」が多くの誌面を飾った。 ツアー開始 ツアー初日の5月11日は、解散前最後の楽曲にして唯一シングル曲においてコンサート未披露状態にあった「プライマル。 」の初演を1曲目としてスタートし(この曲は多数のテレビ、ラジオ、インターネットライブ放送局が生中継した)、さらに「楽園」「BURN」などのファンハウス時代のヒット作を中心に、2月にWeb公開した15年ぶりの最新曲「」も含めた集大成公演であった。 ツアー後半ではコアファン向けに『SICKS』の曲目を中心に一部セットリストを入れ替えている。 吉井は「15年の間様々な事がありました。 具体的にはがに変わりました」などと笑いを取る一方で「今日だけは素直に言わせて下さい。 ただいま! 」と復活の喜びをMCに込め、さらに「今後も継続して活動したいと思いますよ」「このTHE YELLOW MONKEYは生涯解散することはありません」とバンド活動の永続を宣言し、この発言の真意を8月に出演したNHK『』においても語っている。 メカラ ウロコ [ ] バンドの誕生日とも言える12月28日には、「メカラ ウロコ」と言う「昔のTHE YELLOW MONKEYに戻る」と言う趣旨の元、初期の楽曲をメインにしたライブを1996年、1998年、1999年、2001年、2016年、2017年 2018年 にわたり7度行った。 吉井曰く「忘年会も兼ねて」のイベントである。 がのための改修工事により使用不可となるため、2018年に一度終わらせている。 基本は2部構成で行われ、第1部は通常のバンド演奏、第2部からは「メカラ ウロコ楽団」と呼ばれる団体と共に曲を演奏する(弦編曲と指揮はチェリストの四家卯大が担当)のが通例となっていた。 2016年以降は「メカラ ウロコ楽団」としての参加はなく、2016年の「27」は徳澤青弦オーケストラ、2018年の「29」は佐藤万衣子ストリングスがそれぞれ演奏している(2017年はストリングス編成自体がなし)また、ライブの途中ではメンバーが「」の替え歌「おそそブギウギ」を歌うのが恒例となっていた。 これらとは別に2004年の解散イベントも「メカラ ウロコ・15」と銘打たれている。 また、2009年12月22日に結成20周年記念としてフジテレビで放送された特番も『』と釘打たれた。 バンド解散後も吉井は2006年〜2015年、毎年12月28日に日本武道館でライブを行うのが恒例となっていた。 ただし、通常のライブツアーの一環として開催される場合が多く、「メカラ ウロコ」のタイトルは使われていない。 吉井は「バンドが復活するまでは、俺がこの日を守っていきたいという想いから(12月28日に)ソロライブをしていたんです。 毎回、メンバーが元気なうちに、またここでやりたいと思っていました」と語っている。 メカラ ウロコ・7(1996年12月28日()) 1st - 3rdアルバムの楽曲が中心で構成され、オープニングの「MORALITY SLAVE」では、1993年に実施されたでのライブの演出を再現し、頭に袋を被せた女性(武道館側のNGで今回は裸ではない)を2人から20人に増やして披露された。 吉井が自身の自伝にて「いまだに見ますからね。 あのライブ映像は。 (中略)喜びの部分では、過去にもあれを超えるライブはない」と胸懐する ほど気に入っているライブであり、「いつか完全版を出したい」と綴った約2年後の2009年に完全版の『メカラ ウロコ・LIVE DVD BOX』がリリースされた。 ラストでは吉井がレコード会社移籍による心境を語り、移籍後第1段シングルとなる「」がライブのトリを飾った。 メカラ ウロコ・9(1998年12月28日(日本武道館)) 1997年は『』のレコーディングなどで多忙だったこともあり、1年空いている。 「PUNCH DRUNKARD TOUR」中の開催であり、武道館2DAYSの後日でもあったため、充分なリハーサルができない状態であったが、メンバーの強い希望により行われた。 前回と同様、1st - 3rdアルバムの楽曲が中心である。 アンコールの「MERRY X'MAS」では、吉井が『』に登場するマリーに女装して披露された。 トリを飾った「」はこの日が初披露であり、後に18thシングルとしてリリースされた。 メカラ ウロコ・10(1999年12月28日(日本武道館)) 「PUNCH DRUNKARD TOUR」後の活動休止明けに行われた。 29日のファンクラブ限定ライブ「We are Petticort Laner de 公演」との2本立てで開催された。 女性コーラスとしてロビー・ダンツィ、マナ・リオンの2名、ホーンセクションとしてつづらのあつし(サクソフォーン。 管編曲も担当)、(サクソフォーン)、佐々木史郎(トランペット)、下神竜哉(トランペット)、清岡太郎(トロンボーン)が参加し、翌年に開催されたコンサートツアー「SPRING TOUR」にも帯同している。 初めて4thアルバム以降の楽曲も披露され、1st - 6thアルバムまで幅広く選曲された。 トリを飾った「」はこの日がライブ初披露である。 メカラ ウロコ・8(2001年1月4日()、1月8日()) 過去3公演とは異なり、日本武道館以外の会場で行われ、開催日はバンドの誕生日とは無関係である。 楽曲はメンバーの「今やりたい曲をやろう」という意向で、アルバム『』の収録曲を中心に構成されている。 吉井曰く「昔の曲でセットリストを組んだら、『8』の収録曲が全然入ってなかった」ために、先述のコンセプトのもとセットリストが組み直されたという。 そのためタイトルも11(12)ではなく、アルバムに合わせて『8』となっている。 ライブのラストでは吉井が「私たち、普通の野良犬に戻ります! 」「我がイエローモンキーは永久に不滅です! 」というMCと共に「WELCOME TO MY DOGHOUSE」がトリを飾った。 THE YELLOW MONKEY活動休止前最後のライブであり、後に再結成を迎えるまで実質的にバンドのラストライブとなった。 (2016年12月28日(日本武道館)) 20年前に初めて行われた「メカラ ウロコ・7」と直前まで行われていたツアー「THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR -Subjective Late Show-」の内容を組み合わせ形で披露。 「MORALITY SLAVE」や「真珠色の革命時代 Pearl Light Of Revolution 」などはメカラ ウロコ・7同様の演出で披露され、選曲もインディーズ時代のものから当時の最新曲「砂の塔」まで幅広く選曲された。 メカラ ウロコ・28(2017年12月28日()) 17年ぶりとなった東京ドーム公演2DAYSの直後、「九州SPECIAL」と銘打ち、選曲や演出を一新して福岡 ヤフオク! ドームで開催された。 過去に1度しか披露されていない「Wedding Dress」から始まり、客席内のステージへ移動してのアコースティックアレンジを披露する場面もあった。 「」は1995年以来約22年ぶりに披露され、「」は歌詞を博多弁に変えて披露された。 メカラ ウロコ・29(2018年12月28日(日本武道館)) 再集結後も披露されなかった曲が多数を占めた本公演は、1曲目が「ジュディ」で始まり「サイキック No. 9」「STONE BUTTERFLY」「DEAR FEELING」「GIRLIE」などアルバム「8」の曲を演奏しつつ、メカラ ウロコ・9の楽曲「Oh! Golden Boys」「DONNA」「仮面劇」「遥かな世界」「街の灯」なども披露された。 また、今まで1度も演奏されなかった「薬局へ行こうよ」が初めて演奏され、「甘い経験」「離れるな」などといった「PUNCH DRUNKARD」の曲も演奏された。 「毛皮のコートのブルース」をメカラ ウロコで演奏するのは初めてであり、1999年12月29日の「Petticoat Lane de公演」以来の演奏となった。 また、新曲を本編で演奏するのは初めてである。 最後は、アルバム先行リリースされる新曲「」で締めくくった。 また、メカラ ウロコというタイトルでライブを行うのはこれで最後となった。 フジロックフェスティバル [ ] 1997年7月26日、()で開催された第1回目の「フジロックフェスティバル」1日目に参加。 (以下RATM)とヘッドライナーの(以下RHCP)に挟まれ、トリ前での登場というタイムテーブルであった。 この音楽フェスティバルに大勢のファンが駆け付け、朝一番から何百人とステージ最前列に並んだ (このフェスでは、後々まで語り継がれるいわゆる「イエモン地蔵」 と呼ばれる現象も発生した )。 最前列のため雨中に傘 やレインコートも無く、上に・下にスカート・足元にハイヒールかサンダルという格好の女性らの姿がそこにあり 、台風直撃も影響して気温の低下もみられた。 主催の代表・はその光景を見て心配になり、(18時開演予定の)出番まで最前列を一度離れるよう女の子たちに声をかけた ところ「こんなに近くで会えるチャンスはない」「離れたら同じ場所にまた戻って来られるようにしてもらえるのか」など、日高に食い下がる事態も起こった。 (以下FF)の演目が始まる頃、大雨の会場はやで大盛り上がりになり、既に会場の前方は泥だらけであった。 最前列に残っていたファンの女性らは「モッシュに押し潰され、泣きながら、ステージも観ないで、唯々最前列にしがみついてTHE YELLOW MONKEYの出番を待っていた 」という。 日高はそれらに困ってもいたが、運営責任者としてはこれ以上は危険であり気が気ではなく、ファンのために出番を早めてFFの次(RATMの前)へ振り替えることを提案 し、THE YELLOW MONKEYサイドが承諾。 しかし、RATMサイドは「自分たちは変更に異論はないが、フェスティバルの流れでいえばフー・ファイターズの後にTHE YELLOW MONKEYが演奏するより、RATMとRHCPの間に(メロウでスローな)THE YELLOW MONKEYが演奏する従来通りの順番のほうが観客全体を落ち着かせ、危険な状態を回避できるのではないか」とアドバイスを送る。 フェス全体としてはRATM・RHCPが続くほうがより危険であるというこのアドバイスにより、順番変更は実現しなかったが 、日高はと打ち合わせて、ステージ袖に立つ日高とステージ上のトムで時々アイコンタクトをして、日高とトムの判断次第で演奏ストップにしようと決めた。 RATMの演奏から15分ほど経過すると、観客はモッシュのマナーが出来ていて、モッシュが潰れたらお互い助け合う様子を見た日高はステージ袖から立ち去った。 RATMの演奏は続き、観客は泥まみれになって熱狂した。 およそ1時間遅れのスケジュールで行われたRATMの演奏後、30分の休憩を挟み、THE YELLOW MONKEYが登場した。 当日のセットリストは以下の通り。 SUCK OF LIFE• A HENな飴玉• See-Saw Girl• TVのシンガー• 紫の空• RED LIGHT• 天国旅行• これらのヒット曲を控えたセットリスト(10曲中7曲がアルバム収録曲)と、台風に伴う豪雨に見舞われた天候もあり観客の反応は芳しくなく、楽屋では他のメンバーが盛り上がる中、吉井は1人憔悴した面持ちで静かに座っていた。 後に吉井は自らの自伝で「『洋楽ファンに叩きつけてやる! 』って。 叩きつけたはいいけども……なんだかわけのわかんないことになっちゃって」「変な話、あのフジロックの挫折感で、解散しちゃったようなもんだから。 セットリストに関しても、吉井は「『過去の楽曲で一番ロック的なものを用意してあげなきゃ』って思って、裏目に出たんですね」 と反省の弁を述べた。 また、THE YELLOW MONKEY出演を日高に推したは 、この当時に『ROCKIN'ON JAPAN』の邦楽アーティストの人気投票でTHE YELLOW MONKEYが1位に選出されたことを踏まえ「洋楽のユーザーにとって一番人気のあるバンドであり、それがウケなかったのはプレゼンテーションを間違えたということ」と評価。 失敗の要因は「吉井くんの気負いと自意識だったのではないか」と分析している。 一方、ギターの菊地は「そこまで失敗感はない」とし、「RHCPやFFがノリノリで聴いてくれたこともあり、非常に嬉しかった」と対照的な意見を述べている。 PV [ ] 「Love Communication」、「JAM」のは吉井自らの監督で撮影された。 次のシングル「SPARK」以降は「パール」と「プライマル。 」を除く13曲のシングルでが監督を務めた。 高橋は、時間的な余裕と自由な表現を許容され、プロモーションビデオだけでなく映像作品『BLUE FILM』、ライブビデオ『RED TAPE』などを製作し、吉井から「イエローモンキーの第5のメンバー」と言わしめた。 高橋は「LOVE LOVE SHOW」「BURN」を監督した1997年に「」ベストディレクター賞を受賞している。 評価 [ ] 他ミュージシャンからの評価 [ ]• () 1993年にソロ活動を開始した頃、ファンを公言して楽曲をとても褒めていたという。 また、『』1998年6月号にて「自分達がロックを聴いて感じたものをそのまんまビシッとやれている人(曲)は」という問いに対し、具体例として14thシングル『』をあげている。 自著である『天声美語』(2000年4月20日発売)の「聴くべきロック系音楽リスト」において「ザ・イエローモンキー吉井和哉のバラードとと」を推薦している。 また、美輪は2016年の復活公演に花を贈っているほか、2017年の新ベストプロモーションではオフィシャルキャラクターの声を担当している。 () の音楽番組『』(2000年7月22日放送)にて「直球勝負ならイエローモンキーには勝てない」と語った。 このほか雑誌『』2001年8月号において「(イエローモンキーの楽曲は)曲もほんといいし、サビがちゃんとある。 これが悔しいんだよね」と語ったほか、吉井との「バンドとソロ」をテーマにした対談も行い「(血の繋がった兄弟である)ドラムとギターの関係が良好」ということを一目で見抜いた。 2016年には、自身の番組『』において毎年行う邦楽シングルベスト発表企画において復活シングル『』を5位に付けて高く評価した。 () 雑誌『』2007年12月号にてソロ活動中の吉井と対談。 イエローモンキーとスピッツの両バンドがメジャーデビューして間もない頃、偶然横のスタジオで練習をしたことがあり「(音漏れの楽曲を聴いて)すげえと思って。 その時からもう艶な感じを持ってた」と評価しているほか、メジャーデビュー後1,2枚目のアルバムを聴き「売れなさそうな音楽だが、今聴くとかっこいい。 (当時のスピッツにも通ずる点があり)シンパシーを覚える」と語っている。 また、同誌にて「(吉井は)ロックスターなカリスマ性がある。 それは、絶対自分が持っていない部分」と評価している。 () 『週刊1998年6月号にて、当時最新シングルだった『』を「すごくシンプルなのに、繊細なフィーリングが込められている。 すごく気に入ったよ」と絶賛している。 () 「彼らは大きな心と繊細な気持ち、そして本当の才能を持ち合わせている野郎共だ」と評価している。 1995年に音楽雑誌『』で廣瀬がと対談し、その時点でシモンズがTHE YELLOW MONKEYのアルバムや映像作品を所持していた事を明かし廣瀬を脅かせている。 の情報番組『』(2013年10月22日放送)にて「日本のバンドで気に入っているのはTHE YELLOW MONKEYにサザンオールスターズ、そしてX JAPANにはとても影響力があった」「ずっとTHE YELLOW MONKEYとについて勉強したよ」と語っている。 2017年訪日時のインタビューにおいて 、シモンズは自身のソロプロジェクト内であれば選曲にルールはないという話の中で、たとえばTHE YELLOW MONKEYの楽曲のカバーも演奏しようと思えばできるのだとバンド名を挙げていた。 THE YELLOW MONKEYから、影響を受けたミュージシャン等 [ ]• の音楽番組『』(2000年2月5日放送)にてファンを公言しており、「吉井和哉にファンレターを送ったことがある」と語っている。 ファンを公言しており、2001年1月8日にで行われた「メカラ ウロコ・8」にも足を運んでいる。 また、美輪明宏とは同公演にて知り合い親しくなったという(2006年5月17日放送の『』にて)。 () 『. 2006』9月号にてファンを公言しており、吉井の自著である『吉井和哉の㊙おセンチ日記』も読破したと語っている。 また、「90年代で、僕みたいな声の人がボーカルを目指すなんてありえなかったんですよ。 あの時代でハイトーンではなくミリオンヒットを達成しているのはTHE YELLOW MONKEYくらいではないのかなと思っています」と語っている。 () 『メカラ ウロコ・20』(2009年12月22日放送)をはじめ、様々な媒体でファンを公言している。 の音楽番組『』(2007年3月30日放送)にて、コンビニでアルバイトをしていた頃に店内でTHE YELLOW MONKEYの楽曲が流れていたことがきっかけでファンになったと語っている。 『メカラ ウロコ・20』をはじめ、様々な媒体でメンバー4人がファンを公言している。 バンド編成もTHE YELLOW MONKEYと全く同じ。 トリビュートアルバム『』に参加したほか、2013年にベスト盤『』の特設サイトで行われた「私のTHE YELLOW MONKEY『この1曲』」という企画にメンバー4人が参加し、コメントを寄せている。 『』に「球根」のカバーで参加。 特にドラムの松田とギターの菅波が影響を受けており、THE BACK HORN結成前の面識の無い時期に同じ会場の近い場所でTHE YELLOW MONKEYのライブを見ていた事が後に判明したと語っている。 () 『メカラ ウロコ・20』でファンを公言している。 THE YELLOW MONKEYについて「4人が演奏した瞬間に全ての空気を変えてしまうようなバンドのパワーを感じる」と評価している。 また、「メカラ ウロコ・8」にも足を運び、「ドームの広さを感じず、ライブハウスのようだった」と語っている。 () ファンを公言しており、トリビュートアルバムにも参加している。 「俺にとってのアイドル」「THE YELLOW MONKEYを聴くようになってからリフ中心の曲作りに変わった」と語っている。 吉田佳史() ファンを公言しており、トリビュートアルバムにも参加している。 吉井もTRICERATOPSをとても気に入っておりベストアルバム発売時にコメントを寄せたほか、2007年には吉井とTRICERATOPSで「JAM」をセッション、その後も度々共演し、吉田に関しては2009年以降ほぼすべてのライブ・レコーディングで吉井のサポートドラマーを務めている。 「グラムロックというよりも、もっと洗練されている感じ」「メンバーそれぞれめちゃくちゃキャラが立っている」と語っている。 (プロデューサー) 松尾はCHEMISTRY活動再開の理想的な前例としてTHE YELLOW MONKEY再集結を最初にイメージした。 略年譜 [ ] 1980年代 [ ] 1988年• 1988年結成。 当初は吉井がを担当していたが、廣瀬洋一の加入によりに転向。 1989年• 前ヴォーカルの脱退により、吉井がに転向。 菊地英二の実兄である菊地英昭が加入。 12月28日、上記4人のメンバーによる初の。 1990年代 [ ] 1990年• 11月、初のツアーを実施。 1991年• 7月21日、レーベルENGINEから『』リリース。 11月、でワンマンライブを行い、動員数が増え始める。 12月、・トライアドレーベルと契約。 1992年• 4月14日、クラブクアトロでデビュー・コンペンション・ライブを実施。 5月21日、より1stシングル「」でメジャーデビュー。 6月21日、1stアルバム『』リリース。 1993年• 3月1日、2ndシングル「」、2ndアルバム『』を同時リリース。 4月、で初のホールライブを実施。 9月1日、ライブビデオ『』リリース。 1994年• 2月21日、3rdシングル「」リリース。 3月1日、3rdアルバム『』リリース。 7月21日、4thシングル「」リリース。 1995年• 1月21日、5thシングル「」リリース。 2月1日、4thアルバム『』リリース。 初のオリコンアルバムチャートTOP10入りを果たす。 ポップな路線を目指し、売り上げは大幅にアップした。 3月1日、6th『』リリース。 アルバムからの。 4月11日、初の公演を実施。 7月21日、7thシングル「」、ライブビデオ『Cherry Blossom Revolution-Live at BUDOKAN-』リリース。 9月30日、8thシングル「」リリース。 初のオリコンシングルチャートTOP10入りを果たす。 11月1日、5thアルバム『』リリース。 バンド初のオリコン初登場1位を記録。 12月、「TOUR'95 FOR SEASON」を実施。 1996年• 1月12日、「TOUR'96 FOR SEASON」追加公演をスタート。 2月29日、9thシングル「」リリース。 累計80万枚を超えるヒットとなる。 3月30日、『CLIPS Video Collection 1992〜1996』リリース。 5月、全国43公演を回るツアー「FOR SEASON-野生の証明」を実施。 7月10日、10thシングル「」リリース。 8月31日、の『』リリース。 英語カバー曲「」(アルバム参加アーティスト共同カバー)、日本語カバー曲「」(THE YELLOW MONKEY単独カバー)収録。 10月21日、ライブビデオ『TRUE MIND TOUR'95-'96 FOR SEASON:in motion』リリース。 ツアー終了後、所属レコード会社を(現・)に移籍。 11月25日、11thシングル「」リリース。 12月7日、より非公認『』リリース。 バンド唯一のとなる。 12月21日、インディーズ盤『』を再発。 12月28日、バンドの誕生日であるこの日に武道館で「メカラ ウロコ・7」を実施。 過去の曲を中心に演奏された。 1997年• 1月22日、6thアルバム『』をリリース。 オリコン初登場1位。 オリジナルアルバムでは自身最高のセールスを記録。 2月、20公演を回る初のアリーナ・ツアー「FIX THE SICKS」を実施。 4月19日、12thシングル「」、非公認ベスト・アルバム『』リリース。 7月24日、13thシングル「」リリース。 累計90万枚を売り上げ、シングルでは自身最高のセールスを記録。 同日、第1回目の「」1日目に参加。 8月、全国5会場のスタジアムツアー「紫の炎」を実施。 11月1日、ミュージック・ビデオ『BLUE FILM』リリース。 12月3日、ライブビデオ『RED TAPE』リリース。 12月10日、TRIADよりリリースされた全ての音源を網羅した『TRIAD COMPLETE BOX』リリース。 12月17日、盤『PURPLE DISC』リリース。 『BULE FILM』と『RED TAPE』のセット。 1998年• 2月4日、14thシングル「」リリース。 シングル初のオリコン初登場1位を記録。 3月4日、7thアルバム『』リリース。 オリコン初登場1位。 4月、ホール72本、アリーナ41本、計113本を1年かけて回る「PUNCH DRUNKARD TOUR」を実施。 6月2日、15thシングル「」リリース。 アルバムからのシングル・カット。 7月13日、『』、『PUNCH DRUNKARD』をでリリース。 同月に現地でライブを実施。 8月21日、16thシングル「SUGAR FIX」を国内でリリース。 10月21日、17thシングル「」、ライブビデオ『』リリース。 11月18日、ミュージック・ビデオ『CLIPS 2 Video Collection 1996〜1998』リリース。 12月10日、非公認ベスト・アルバム『』リリース。 12月28日、「メカラ ウロコ・9」を実施。 1999年• 所属レコード会社がに吸収合併され、となる(後にに改称。 現在は傘下の)。 3月3日、18thシングル「」リリース。 3月10日、延べ55万人を動員した「PUNCH DRUNKARD TOUR」を終了。 バンドは約2ヶ月間の休養期間へ。 5月26日、「PUNCH DRUNKARD TOUR」から選曲された『』リリース。 6月23日、ライブビデオ『』リリース。 7月1日、専用ソフト『』発売。 8月2日、メンバーの初出演作『』公開。 12月8日、19thシングル「」リリース。 初の外部とのコラボレーション作品。 12月10日、ライブビデオ『jaguar hard pain Live'94』リリース。 12月28日、「メカラ ウロコ・10」を実施。 バンド結成10周年を迎える。 2000年代 [ ] 2000年• 1月26日、20thシングル「」リリース。 4月5日、21stシングル「」リリース。 4月8日、計10本のアリーナ・ツアー「SPRING TOUR」を実施。 7月12日、22ndシングル「」リリース。 4作品ぶりの吉井のセルフプロデュース。 7月26日、8thアルバム『』リリース。 11月1日、23rdシングル「」リリース。 11月15日、1月4日の、1月8日のの公演「メカラ ウロコ・8」終了後、バンドを活動休止することを各に発表。 12月9日、ライブビデオ、『』リリース。 これまでのビデオ作品も全DVD化された。 12月30日、『年越しプレミアライブ』に緊急生出演。 2001年• 1月8日、「メカラ ウロコ・8」を終え、バンドを活動休止。 1月31日、24thシングル「」リリース。 結果的にバンドのラストシングルとなった。 3月14日、ミュージック・ビデオ『CLIPS 3 Video Collection 1999〜2001』リリース。 6月13日、シングルコレクションアルバム『』リリース。 2004年• 7月7日、解散。 12月8日、初のメンバー監修で製作されたベストアルバム『』、 BOX『THE YELLOW MONKEY CLIP BOX』、LIVE BOX『THE YELLOW MONKEY LIVE BOX』リリース。 12月26日、東京ドームで開催された「THE EXHIBTION AND VIDEO FESTIVAL OF THE YELLOW MONKEY メカラ ウロコ・15」の最終日にメンバーが再集結。 「JAM」を演奏した。 12月26日、ライブDVD『』リリース。 2005年• 12月23日、ライブDVD『ライブ帝国 THE YELLOW MONKEY』リリース。 2009年• 9月17日、『THE YELLOW MONKEY 20th Anniversary Year Project』始動、3タイトルのリリースを発表。 12月3日、オフィシャルフォトグラファー有賀幹夫の撮影・編集による写真集『THE YELLOW MONKEY HEAVEN -SICKS years '96〜'97-』リリース。 12月9日、結成20周年記念企画の一環で、トリビュートアルバム『』、全4回行われた「メカラ ウロコ」を完全収録したDVD-BOX「メカラ ウロコ・LIVE DVD BOX」を同時リリース。 12月19日、1、2月合併号の『』で9年ぶりに表紙を飾った。 『ROCKIN'ON JAPAN』が現存しないバンドを表紙にしたのは史上初である。 2010年代 [ ] 2010年• 1月22日、結成20周年記念企画第3弾として、6thアルバム『SICKS』の完全版である『』のリリースが決定。 『SICKS』のデジタルリマスタリング・盤、デモ音源を収録したCD、レコーディング風景など秘蔵映像を収録した豪華3枚組仕様での発売となる。 7月、結成20周年記念企画の一環で、とのを発売。 2012年• 5月21日、メジャーデビューから20年を迎えた同日に、バンドの全アルバムとミュージック・ビデオを6月20日から一斉配信されることが発表された。 2007年に、シングル曲と一部楽曲は配信されていたものの、全てのオリジナル・アルバム曲が配信されるのは今回が初となる。 6月5日、日本コロムビアより、での「THE YELLOW MONKEY -DEBUT 20TH- 」オフィシャルアカウントと、バンドの公式の開設が発表された。 6月6日、の公式チャンネルが開設され、1stシングル「」から24thシングル「」までの全24曲のPVが1コーラス限定で公開された。 余談であるが、この日はドラムの菊地英二の誕生日であった。 6月19日、にて1日限定で、バンドの全シングル24曲を100円(税抜)にディスカウントした状態で配信された。 また、同日の20:00から翌20日の20:00の24時間にわたって、でバンドの特番がオンエアされた。 6月20日、バンドの全アルバムとミュージック・ビデオの一斉配信が開始。 9月12日、内で「THE YELLOW MONKEYチャンネル」がオープン。 10月10日、デビューシングル「Romantist Taste」を新たにリミックスした「」を初回生産限定シングルとしてリリース。 同作品には、オリジナル作品に収録されていた公演と公演がほぼ完全な形でDVD化される他、ツアーオフショットやメンバーのインタビューもロングバージョンとして収録されることが決定している。 12月3日、1997年に発売されたライブ作品『RED TAPE』の完全盤DVD『RED TAPE "NAKED"』が発売。 2013年• 7月31日、ファン投票で収録曲が決定したベストアルバム『』が発売。 アルバム発売時には、投票したファン全員の写真で作られた巨大フォトモザイクアートが全国5大都市に登場。 9月28日、劇場版『パンドラ ザ・イエロー・モンキー PUNCH DRUNKARD TOUR THE MOVIE』公開。 1998年から1999年にかけて全113本行われた「PUNCH DRUNKARD TOUR」のツアードキュメント。 12月4日、全オリジナル・アルバム、ベスト・アルバムリマスター盤Blu-spec CD2にて再発売。 2015年• 1月14日、公式サイトがリニューアルされ、スマートフォン専用サイトがオープンした。 2016年• 1月8日0時、メンバー4人全員が"集結"した写真と共に全国10ヵ所を巡る20本のアリーナ・ツアー「THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016」を発表。 2月10日、再結成後初の新曲となる「ALRIGHT」が初解禁され、その後音楽サイトや、動画サイトの公式アカウントでも無料配信されている(後にシングル「砂の塔」のカップリングにてCD化された)。 5月11日より、再結成後初となる16年ぶりの全国ツアー「THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016」を開催(全国12会場で24公演)。 初日となる5月11日に国立代々木第一体育館で行われた公演では、 「1曲目のみを複数メディアが生配信」という異例の形がとられた。 その一曲目は解散前最後のシングルであり、シングル曲で唯一コンサート未演奏状態であった「プライマル。 」であり、ファンを大いに沸かせた。 7月2日、7月2日の日本テレビ系音楽番組『』に出演。 テレビ出演は、活動休止直前の2000年に放送されたTBS系『CDTV年越しプレミアライブ』以降15年半ぶりとなった。 8月6日、8月7日、8月13日、8月14日の四日間にわたり、国内ロックフェス「」に16年ぶりに出演。 8月20日より開催される「」にTHE YELLOW MONKEYとして初の出演。 10月3日、「Inspiration Award Japan」受賞。 10月19日、系ドラマ『』の主題歌として書き下ろした新曲「」を、「プライマル。 」以来15年9カ月ぶりのシングルとしてリリース。 11月12日より、全国16公演となるホールツアー「THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016 -SUBJECTIVE LATE SHOW-」開催。 11月16日、第49回・特別賞を受賞。 12月28日、日本武道館にて「THE YELLOW MONKEY SUPER メカラ・ウロコ 27」開催。 12月30日、「特別賞」受賞。 12月31日、「」(NHK総合)に初出場した。 曲目は「JAM」。 2017年• 3月7日、「BEST RESPECT ARTIST」受賞。 3月17日0時、メジャーデビュー25周年を記念して2013年にファンによるリクエスト投票としてリリースされた企画ベストアルバム『イエモン-FAN'S BEST SELECTION-』の収録曲の中から新録されたセルフカバー企画ベストアルバム『』が5月21日に発売する事と12月に約17年振りとなる解散後初の東京ドーム2daysライブを開催される事、2017年第一弾となる新曲「」が解禁されるなどの2017年の活動が発表された。 8月9日、16年ぶりの全国ツアーでの彼らに密着したドキュメンタリー映画『』は、公開予定日(11月11日)もサイトリニューアルも、さらにツイッター、フェイスブック、インスタグラム開設、これら全てをこの日にプレゼンテーションした。 9月13日、3か月連続配信リリースの第1弾として、デヴィッド・ボウイの楽曲「」のカバーを(日本)限定で配信開始。 同日、Amazon(日本)限定で同カバーのアナログ盤(7インチ・ピクチャー・ディスク仕様)の受注受付を開始。 10月12日、映画『オトトキ』が出品されたに日本人ロックバンドとして初めて参加。 開幕式と翌日の舞台挨拶にメンバー4人と監督が登場した。 10月13日、釜山国際映画祭で映画『オトトキ』の(世界初演)が行われた。 菊地英昭が作詞・作曲をした『オトトキ』の主題歌「」が、この上映で解禁された。 10月27日、3か月連続配信リリースの第2弾として「」を配信開始。 11月11日、映画『オトトキ』一般公開。 11月29日、3か月連続配信リリースの第3弾として「Horizon」を配信開始。 12月28日、「メカラ ウロコ・28 -九州SPECIAL-」にて、吉井はアルバム制作を宣言。 2018年• 11月9日、約1年振りとなる新曲「」を、配信限定シングルとしてリリース。 テレビ東京系ドラマ「天 天和通りの快男児」主題歌。 2019年• 1月25日、配信シングル「」リリース。 3月28日、19年ぶり9枚目となるオリジナル・アルバム『』のリリースに先駆け、「THE YELLOW MONKEY 9th Album『9999』世界最速先行試聴会」と銘打った無料イベントを日本武道館にて開催。 参加申し込みのあった5万通以上の中から抽選で9999名が招待された。 プロローグとなるドキュメンタリー映像が上映され、それに続きアルバム収録曲の音源が流れた瞬間、スクリーンとなっていた紗幕が取り払われ生演奏をするメンバーがサプライズで登場。 『9999』に収録されている13曲をトラックリスト通りにライブ演奏した。 4月17日、9thアルバム『9999』リリース。 日本人アーティストとしては初参加。 10月30日、結成30周年を記念した配信シングル「」リリース。 12月4日、結成30周年記念企画として、9thアルバム『9999』の完結版である『』リリース。 『9999』未収録デモ音源を収録したCD、最新ツアー1本を全曲収録したDVD、204ページの豪華フォトブックレットをパッケージングしての発売となる。 2020年• 3月13日、ドームツアー参加ファンクラブ会員に贈られた30周年メモリアルギフトCD「」のデジタル配信開始。 同日、「SPACE SHOWER TV 30TH ANNIVERSARY SPACE SHOWER MUSIC AWARDS 2020」にて『9999』が「ALBUM OF THE YEAR」を受賞。 ディスコグラフィ [ ] CDシングル [ ] リリース日 タイトル 規格 オリコン最高位 初収録アルバム 01st 1992年5月21日 8cm CODA-17 圏外 02nd 1993年3月1日 8cmCD CODA-142 圏外 03rd 1994年2月21日 8cmCD CODA-305 97位 04th 1994年7月21日 8cmCD CODA-459 59位 05th 1995年1月21日 8cmCD CODA-567 29位 06th 1995年3月1日 8cmCD CODA-608 34位 07th 1995年7月21日 8cmCD CODA-715 19位 08th 1995年9月30日 8cmCD CODA-731 9位 09th 1996年2月29日 8cmCD CODA-834 6位 1 2 10th 1996年7月10日 8cmCD CODA-970 3位 11th 1996年11月25日 8cmCD FHDF-1593 3位 12th 1997年4月19日 8cmCD FHDF-1621 4位 13th 1997年7月24日 8cmCD FHDF-1644 2位 14th 1998年2月4日 8cmCD FHDF-1672 1位 15th 1998年6月3日 8cmCD FHDF-1688 15位 16th 1998年8月21日 12cmCD FHCF-2428 5位 日本語バージョンの『甘い経験』として収録 17th 1998年10月21日 8cmCD FHDF-1697 5位 (初回限定盤ボーナスCD) 18th 1999年3月3日 8cmCD FHDF-1713 5位 19th 1999年12月8日 12cmCD FHCF-5001 4位 20th 2000年1月26日 12cmCD FHCF-5002 9位 21st 2000年4月5日 12cmCD FHCF-5007 3位 22nd 2000年7月12日 12cmCD FHCF-5011 6位 23rd 2000年11月1日 12cmCD FHCF-5019 5位 24th 2001年1月31日 12cmCD FHCF-5024 3位 25th 2016年10月19日 12cmCD COCA-17240 初回盤 2位 COCA-17241 通常盤 デジタルシングル [ ] リリース日 タイトル 規格 初収録アルバム 備考 2017年9月13日 デジタル・ダウンロード - - 3か月連続配信リリース第1弾。 スタジオ音源のみ。 限定配信。 のカバー。 2017年10月27日 デジタル・ダウンロード COKM-40181 3か月連続配信リリース第2弾。 各配信サイトにて配信。 2017年11月29日 デジタル・ダウンロード COKM-40182 3か月連続配信リリース第3弾。 各配信サイトにて配信。 2018年11月9日 デジタル・ダウンロード 190295522988 2019年10月30日 デジタル・ダウンロード 190295330323 - 結成30周年記念シングル。 2020年3月13日 デジタル・ダウンロード 190295265915 - 『30th Anniversary Memorial Gift』収録曲。 その他のシングル [ ] リリース日 タイトル 規格 オリコン最高位 備考 企画 2012年10月10日 12cmCD COCA-16672 5位 - ファンクラブ限定配信 2017年2月12日 - - シングル「」B面に収録。 ファンクラブ限定配信 2017年3月17日 デジタル・ダウンロード - - 『』の早期購入特典CD、『』に収録。 特典 2017年5月21日 12cmCD PRCL-10124 LP 2018年1月8日 7inch TYMS-003 完全受注生産 - A面はスタジオ音源、B面はライブ音源。 限定盤。 のカバー。 非公認アルバム。 となり、バンド史上最大のヒット。 ベストアルバム 1997年4月19日 CD COCA-14101 2位 TRIAD YEARSの第2弾。 非公認アルバム。 シングルコレクション 1998年12月10日 CD COCP-50016 10位 TRIAD時代のシングルコレクション。 非公認アルバム(再発時には所属事務所BAJのロゴが明記された)。 非公認アルバム(再発時には所属事務所BAJのロゴが明記された)。 2013年12月4日 Blu-spec CD2 2枚組 COCP-38280〜38281 シングルコレクション 2001年6月13日 CD FHCF-2530 2位 ファンハウス時代のシングルコレクション。 2013年12月4日 Blu-spec CD2 BVCL-30014 ベストアルバム 2004年12月8日 CD 3枚組 BVCR-18040〜18042 5位 メンバー自らがセレクションしたベストアルバム。 LP 2枚組 COJA-9324〜5 CD 2枚組 COCP-1001〜2 FC限定盤 その他のアルバム [ ] リリース日 タイトル 規格 規格品番 オリコン最高位 備考 1997年12月10日 6CD COCA-14660〜14665 14位 TRIADよりリリースされた全ての音源を網羅したBOXセット。 1999年5月26日 CD FHCF-2457 3位 「PUNCH DRUNKARD TOUR」からメンバー自らがセレクションしたライブアルバム。 2013年12月4日 Blu-spec CD2 BVCL-30012 2009年12月9日 CD 2枚組 BVCL-50〜51 6位 結成20周年記念企画の一環で発売。 完全生産限定盤。 完全生産限定盤。 参加オムニバス・アルバム [ ] リリース日 タイトル 規格 規格品番 備考 1996年8月31日 CD COCA-13627 TRIADよりリリース。 3曲目に吉井の日本語詞による「」のカバーを収録。 吉井はMoth Poet All Stars(モス・ポエト・オールスターズ)として1曲目「」(英語詞)メドレーに参加。 1997年11月21日 T・レックス・トリビュート・アルバム〜ブギー・ウィズ・ザ・ウイザード CD TECW-30613 2曲目に吉井の日本語詞による「」のカバーを収録。 吉井は's children(ボランズ・チルドレン)として最終曲「T・レックス・トリビュート・メドレー」の「」(英語詞)に参加。 1998年2月25日 地獄の賞賛〜KISS トリビュート・イン・ジャパン CD PHCL-5085 1曲目に「」(狂気の叫び)のカバーを収録。 英語詞。 2017年9月13日 T. 10- DVD COBA-6924〜5 Blu-ray COXA-1143 ドキュメンタリー 2018年3月28日 DVD DSTD20073 Blu-ray BSTD20073 通常版 BSTD20074 豪華版 FC限定版 ゲーム [ ] リリース日 タイトル 規格品番 備考 用ソフト 1999年7月1日 SLPS-02135 から発売された。 THE YELLOW MONKEYの曲を使用した。 収録曲: 「楽園」、「TVのシンガー」、「紫の空」、「LOVE LOVE SHOW」(Album Version)、「BURN」、「MY WINDING ROAD」、「NEW YORK CITY LOSER」 プレイステーション用ソフト 2000年4月14日 SLPM-86473 ハンズオン・エンタテインメントから発売された。 映画『trancemission』主題歌「SO YOUNG」のPVをとして編集体験ができるゲーム。 その他、同映画の解説やPV8曲を収録。 未発表曲 [ ] 曲名 備考 セミシグレ ある不良青年の一生を描いた楽曲。 1997年の『TOUR '97 〜紫の炎〜』にて披露される予定であったが、見送られた。 DUST TO DUST 1994年の『TOUR '94 "jaguar hard pain"』のオープニングにて、偽ジャガーの登場とともに披露された楽曲。 映像作品『jaguar hard pain Live'94』ではカットされている。 ライブ・コンサートツアー [ ] 年 タイトル 公演規模・会場 1992年 TOUR 1992 FIRST 5月17日 5月19日 5月20日 5月21日 5月23日 長崎市公会堂 5月24日 下松市文化会館 5月26日 5月27日 5月29日 神戸国際会館 ハーバーランドプラザ 5月31日 6月1日 6月3日 守山市民ホール 6月4日 6月6日 6月7日 6月9日 6月11日 宇都宮市文化会館 6月12日 郡山市民文化センター 6月15日 6月18日 6月19日 6月21日 6月23日 6月24日 6月26日 6月28日 7月1日 7月2日 7月4日 7月5日 7月7日 7月8日 7月10日 7月11日 岡山市民会館 7月13日 7月17日 7月18日 名古屋国際会議場 センチュリーホール 7月20日 7月21日 NHKホール 7月24日 大阪厚生年金会館 7月25日 大阪厚生年金会館 7月27日 長野県県民文化会館 7月30日 静岡市民文化会館 メカラ ウロコ・7 1998年 4月3日 戸田市文化会館 4月5日 郡山市民文化センター 4月6日 山形県県民会館 4月8日 秋田県民会館 4月10日 青森市文化会館 4月11日 青森市文化会館 4月13日 岩手県民会館 4月14日 岩手県民会館 4月17日 函館市民会館 4月19日 室蘭市文化センター 4月21日 北海道厚生年金会館 4月22日 北海道厚生年金会館 4月24日 北見市民会館 4月25日 4月28日 仙台サンプラザ 4月29日 仙台サンプラザ 5月1日 神奈川県民ホール 5月2日 神奈川県民ホール 5月4日 宇都宮市文化会館 5月6日 5月8日 新潟県民会館 5月9日 新潟県民会館 5月11日 石川厚生年金会館 5月12日 5月14日 5月15日 5月18日 群馬県民会館 5月26日 大宮ソニックシティ 5月28日 5月29日 長野県県民文化会館 6月2日 6月4日 福岡サンパレス 6月5日 福岡サンパレス 6月7日 長崎市公会堂 6月9日 熊本市民会館 6月10日 宮崎市民文化ホール 6月11日 6月13日 鹿児島市民文化ホール 6月14日 鹿児島市民文化ホール 6月17日 6月18日 沖縄コンベンションセンター 劇場 6月24日 京都会館第一ホール 6月25日 守山市民ホール 6月29日 6月30日 四日市市文化会館 7月2日 7月3日 7月5日 長良川国際会議場 7月7日 7月8日 静岡市民文化会館 7月10日 7月13日 神戸国際会館 ハーバーランドプラザ 7月14日 神戸国際会館 ハーバーランドプラザ 9月1日 9月2日 広島厚生年金会館 9月4日 9月5日 9月7日 9月9日 9月10日 香川県県民ホール 9月12日 9月14日 高知県立県民文化ホール 9月15日 愛媛県県民文化会館 9月18日 フェスティバルホール 9月19日 フェスティバルホール 9月23日 NHKホール 9月24日 NHKホール 9月26日 NHKホール 9月27日 NHKホール 10月1日 名古屋国際会議場 センチュリーホール 10月2日 名古屋国際会議場 センチュリーホール 10月6日 岡山市民会館 10月23日 浜松アリーナ 10月24日 浜松アリーナ 10月29日 10月30日 真駒内屋内競技場 11月3日 11月4日 岩手産業文化センター 11月7日 11月8日 山形市総合スポーツセンター 11月12日 11月13日 石川県産業展示館 4号館 11月20日 11月21日 長野市若里多目的スポーツアリーナ 11月24日 新潟市産業振興センター 11月25日 新潟市産業振興センター 12月26日 日本武道館 12月27日 日本武道館 1999年 1月9日 1月10日 グリーンドーム前橋 1月13日 1月14日 宮城県総合運動公園総合体育館 1月20日 名古屋市総合体育館 レインボーホール 1月21日 名古屋市総合体育館 レインボーホール 1月23日 名古屋市総合体育館 レインボーホール 1月29日 1月30日 マリンメッセ福岡 2月2日 大阪城ホール 2月3日 大阪城ホール 2月5日 大阪城ホール 2月6日 大阪城ホール 2月9日 2月14日 2月17日 マリンメッセ福岡 2月18日 マリンメッセ福岡 2月22日 鹿児島アリーナ 2月23日 鹿児島アリーナ 2月27日 沖縄コンベンションセンター 展示棟 2月28日 沖縄コンベンションセンター 展示棟 3月6日 横浜アリーナ 3月7日 横浜アリーナ 3月9日 横浜アリーナ 3月10日 横浜アリーナ 1998年 THE YELLOW MONKEY UK TOUR 5月11日 5月12日 国立代々木競技場 第一体育館 5月28日 長野市若里多目的スポーツアリーナ 5月29日 長野市若里多目的スポーツアリーナ 6月11日 広島県立総合体育館 グリーンアリーナ 6月12日 広島県立総合体育館 グリーンアリーナ 6月18日 6月19日セキスイハイムスーパーアリーナ 6月28日 6月29日 日本ガイシ スポーツプラザ 日本ガイシホール 7月5日 大阪城ホール 7月6日 大阪城ホール 7月9日 7月10日 さいたまスーパーアリーナ 7月16日 マリンメッセ福岡 7月17日 マリンメッセ福岡 7月26日 7月27日 ワールド記念ホール 9月10日 9月11日 真駒内セキスイハイムアイスアリーナ THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016 -YOKOHAMA SPECIAL- 4月27日 4月28日 静岡県小笠山総合運動公園アリーナ 5月11日 北海きたえーる 5月12日 北海道立総合体育センター 北海きたえーる 5月25日 6月7日 大阪城ホール 6月8日 大阪城ホール 6月11日 横浜アリーナ 6月12日 横浜アリーナ 6月29日 7月6日 さいたまスーパーアリーナ 7月7日 さいたまスーパーアリーナ 7月13日 マリンメッセ福岡 7月14日 マリンメッセ福岡 7月20日 広島県立総合体育館 グリーンアリーナ 7月21日 広島県立総合体育館 グリーンアリーナ 8月3日 セキスイハイムスーパーアリーナ 8月4日 セキスイハイムスーパーアリーナ 8月8日 日本武道館 8月9日 日本武道館 8月26日 ワールド記念ホール 8月27日 ワールド記念ホール 9月3日 徳島県立産業観光交流センター 9月14日 福島県営あづま総合体育館 9月15日 福島県営あづま総合体育館 9月21日 9月22日 熊本産業展示場 THE YELLOW MONKEY Private Gig 12月28日 2月11日 京セラドーム大阪 4月4日 東京ドーム 4月5日 東京ドーム 書籍 [ ] 発売日 タイトル 出版元 ISBN 備考 1996年10月21日 TRUE MIND TOUR'95-'96 FOR SEASON:still 綜合出版 初の写真集。 フォトグラファーは有賀幹夫とMitch池田。 1996年12月20日 7YEARS 写真やインタビューを収録。 未発表曲「セミシグレ」の歌詞が掲載されている。 2000年12月15日 BURN ロッキング・オン 『』に掲載されたインタビューをまとめたもの。 完成直前に活動休止が発表された。 2000年12月25日 SYN THE YELLOW MONKEY LENSMAN MITCH IKEDA 綜合出版 写真集。 フォトグラファーはMitch池田。 2004年12月15日 15YEARS 写真やインタビューを収録。 2005年5月13日 COMPLETE BURN ロッキング・オン 『BURN』の増補改訂版。 フォトグラファーは有賀幹夫。 2019年5月限定再販(『SICKS』アーティスト写真、ジャケット撮影映像収録ボーナスDVD付)。 出演 [ ] テレビ [ ] 映画 [ ]• - 1999年8月2日公開。 バンドのMVを数多く手がけたの映画監督デビュー作品。 - 2013年9月28日公開、ドキュメンタリー映画。 監督は高橋栄樹。 - 2017年11月11日公開、ドキュメンタリー映画。 」5月度オープニングテーマ インベスターズクラウド「TATERU」CMソング第2弾 8月4日TV放映開始 楽園 2017 新録版 11thシングル フジテレビ系「魔女に言われたい夜〜正直過ぎる品定め〜」5月度エンディングテーマ パール 2017 新録版 22ndシングル 日本テレビ系「」POWER PLAY 太陽が燃えている 2017 新録版 8thシングル テレビ朝日系「musicる TV」6月度オープニングテーマ バラ色の日々 2017 新録版 19thシングル 「」6・7月度オープニングテーマ 配信限定シングル 「」11月度エンディングテーマ 「」11月度エンディングテーマ くまもと県民テレビ「ROCKET COMPLEX」11月度エンディングテーマ 配信限定シングル 映画「」エンディングテーマ 2018年 Stars 配信限定シングル インベスターズクラウド「TATERU」CMソング第3弾 2月16日TV放映開始 配信限定シングル 系ドラマ「」主題歌 Horizon 配信限定シングル 2019年 配信限定シングル テレビ朝日系ドラマ「」主題歌 天道虫 配信限定シングル 「サッポロ 本格辛口」TVCM曲 「」5月度エンディングテーマ 9thアルバム TBS系「」エンディングテーマ 配信限定シングル AVIOT「TE-D01d mk2」ウェブCM バラ色の日々 19thシングル テレビ東京系ドラマ「」主題歌 2020年 9thアルバム 「」テーマソング CD解説 [ ]• 『』(1997年5月21日)• 日本盤に付属の、対訳の載ったブックレットに、・が解説に参加している。 『』(2001年5月23日)• 解説には、音楽的影響などあがた森魚の作品に対する思いが書かれている。 『best of bowie』(2002年10月30日)• ブックレットに、吉井がとの対談という形式で参加している。 THE YELLOW MONKEY活動休止後かつ吉井がYOSHII LOVINSONとしてソロ活動を開始・バンドを解散する以前の時期であり、吉井和哉の名を使っている。 脚注 [ ] 注釈 [ ]• パッケージ作品の発売元としてもクレジット。 松尾賢一が1989年11月29日のライブを最後にTHE YELLOW MONKEYを脱退したことは当時の音楽誌に掲載された。 松尾はその後、グラムロックバンド「GLANEY TAKE・the・TRIPP」(グラニー テイク・ザ・トリップ)のボーカルを務めた(GIMMY松尾)。 このバンドは元・のも在籍し(VIGIL津谷)、『Bunched Birth』と同じくENGINEレーベルからインディーズ・アルバム『A・TEST TUBE BABY』(ア・テストチューヴ ベイビー)を1992年に発表、1995年にインディーズ・レーベルのからリリースされたT・レックスのカバーアルバム『x-rex』に10組のアーティストの1組として参加し「」のカバーを発表した。 2008年5月10日に行われたLa. mama生誕祭に、GLANEY TAKE・the・TRIPPがこの日一夜限りの再結成をして出演し、解散中であったTHE YELLOW MONKEYの廣瀬洋一(HEESEY)がゲストDJとして参加した。 2004年12月の展示会・フィルムコンサート「メカラ ウロコ・15」会場に展示された吉井和哉による銘文から。 ロンドンはローリング・ストーンズにとってバンドを結成した出発地点である。 前年の2012年、ローリング・ストーンズは結成50周年を迎えた。 「地蔵」とは、音楽フェス等で何時間も最前列付近に立ち、目的のアーティストが登場するまで無反応で動かない観客をいい、自分中心で他のアーティストやファンに対する迷惑行為としてこのように呼ばれる。 2013年大阪における「地蔵」はよく知られる事例であり、この現象は後を絶たない。 傘をさす観客は後方へ行くように促されていた。 このインタビューの翌週に行われたにおけるジーン・シモンズ・バンド単独公演では、THE YELLOW MONKEYの楽曲はカバーしていないが、THE YELLOW MONKEYのメンバーらが1994年1月26日ににおけるライブイベント「TRIAD SENSATION」でカバーしたKISS「Deuce」や、THE YELLOW MONKEYがアルバム『』(1998年)でカバーしたKISS「Shout It Out Loud」を演奏した。 1990年よりのオフィシャルフォトグラファーを務めている有賀幹夫は、1995年よりTHE YELLOW MONKEYのオフィシャルフォトグラファーとなる。 最初のオフィシャル撮影はTHE YELLOW MONKEY初の日本武道館公演。 メンバー出演は最終日のみ。 元開催日は4月4日だったが、新型コロナウイルスの影響で延期となっている。 元開催日は4月5日だったが、新型コロナウイルスの影響で延期となっている。 出典注 [ ]• 2020年1月26日閲覧。 2020年1月26日閲覧。 2018年9月8日閲覧。 2008年7月31日. 2018年9月8日閲覧。 2019年5月号. 東京ニュース通信社. 2019• , p. 104• , p. 111• , p. 129• , p. 155• , p. 162• , p. 189• , p. 191• , p. 201• , p. 198• , p. 199• , p. 205• , p. 204• , p. 206• , p. 209• , p. 214• , p. 216• , p. 217• , p. 246• , p. 247• , p. 245• , p. 160• 『RED TAPE "NAKED"』特典DVD、2012年。 映画『パンドラ ザ・イエロー・モンキー PUNCH DRUNKARD TOUR THE MOVIE』、2013年。 , p. 186• , p. 187• 2020年5月8日閲覧。 , pp. 69-76• 2019年2月10日閲覧。 , p. , pp. 2-3• ナタリー. 2018年10月19日. 2018年11月21日閲覧。 リアルサウンド 2019年3月28日. 2019年3月29日閲覧。 参考文献 [ ] 図書• THE YELLOW MONKEY『COMPLETE BURN』、2005年5月13日。 吉井和哉『吉井和哉自伝 失われた愛を求めて』ロッキング・オン、2007年12月21日。 『97年7月号別冊 Rockin'Talk CAFE』 立東社。 『』 140巻 ロッキング・オン、1997年11月号。 『ROCKIN'ON JAPAN』 148巻 ロッキング・オン、1998年4月号。 『ROCKIN'ON JAPAN』 361巻 ロッキング・オン、2010年1、2月合併号。 オンライン• 、2009年12月3日。。 、2013年。。 EMTG MUSIC、2015年1月28日。。 西廣智一 、2013年。。 森朋之 ナタリー、2013年7月31日。。 森朋之 ナタリー、2016年3月22日。。 松尾潔 Twitter。。 ナタリー. 2012年5月21日. ナタリー. 2012年6月6日. ナタリー. 2012年6月13日. ナタリー. 2012年8月15日. ナタリー. 2012年8月31日. ナタリー. 2012年10月11日. ナタリー. 2013年7月2日. ナタリー. 2016年11月16日. ナタリー. 2016年12月21日. ナタリー. 2017年3月17日. ナタリー. 2017年7月11日. 廣瀬洋一 公式サイト. 2008年4月3日. 2012年10月9日. 2013年4月19日. 2013年7月2日. 2013年10月22日. 2014年11月18日. BARKS. 2015年4月2日. BARKS. 2017年10月12日. 2015年7月23日. ・オフィシャルショップ『富士祭電子瓦版』. 2016年4月8日. 2016年5月12日. 2016年9月22日. 2016年10月23日. E-TALENTBANK. 2016年10月24日. 2016年11月24日. ラジオ• 『』公式。。 ABCラジオ『よなよな…』公式Ustream。。 外部リンク [ ]• 公式サイト• - チャンネル• TYMSproject -• theyellowmonkey. jp -•

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JAM THE YELLOW MONKEY 歌詞情報

ザ イエロー モンキー jam

概要 [ ] 前作からおよそ半年ぶり、5thアルバム『』()発売後初のシングル作品。 THE YELLOW MONKEY唯一のでもある。 ロングヒットとなり、累計80万枚をセールス (オリコンでは60万枚)。 13thシングル「」に次いで、自身2番目の売り上げを記録している。 「JAM」 [ ] 一方のA面「JAM」は、「ヘヴィな音像と憂いを帯びたメロディを軸にしたバラードナンバー」であり、THE YELLOW MONKEYのブレイクを決定的にした楽曲である。 で構成されているのロックバラード。 『』エンディングテーマに起用された(1996年 - )。 この作品の後にシングル「」をトライアドレーベルへの置き土産にTHE YELLOW MONKEYは(現・)へのレーベル移籍を発表する。 よって、「JAM」「SPARK」の2曲は製作時期が1年以内とほぼ重なっているにもかかわらず権利面の関係もありアルバム『』()には未収録となった。 「公式の」アルバムに収録される機会を逃し、公式アルバムに初収録されたのは解散後のに発売された『』であった。 ライブでは、「THE YELLOW MONKEYという王国があったとしたら、その国の国歌として聴いてほしい」と紹介されている。 「JAM」にはモチーフとなる楽曲があり、それはにが解散危機のグラムロックバンド・に提供した楽曲「」である。 モット・ザ・フープルは、THE YELLOW MONKEYがリスペクトしているバンドの一つである。 THE YELLOW MONKEYはそれまでにもフィッシャーと一緒に仕事をしたことがある。 「JAM」を制作した当時30歳前後の、子供という年齢ではなく大人としても若かったこのバンドのメンバーたちにとって「JAM」は、『パンチドランカー・ツアー』( - )で音響スタッフが転落事故死したことや、難航したリリース当時の担当で吉井和哉と同い年の友人の中原繁が3月に急死したことが思い出される特別な楽曲であるということが吉井により語られている。 11月、バンドは1月『メカラ ウロコ・8』大阪・東京公演を以ての活動休止を発表した。 この公演で中盤を過ぎる頃、吉井のMCで改めて休業宣言があり、亡くなった中原繁と『パンチドランカー・ツアー』スタッフに捧げるものであると伝えられ「JAM」の演奏が行われた。 2004年7月のTHE YELLOW MONKEY解散後、展示会・フィルムコンサート『メカラウロコ・15』が日本各地10か所で開催され、東京ドームでの『メカラウロコ・15』最終日はメンバー挨拶が予定されていた。 東京ドームに再集結したメンバーは、ということで黒系統の服でオーディエンスの前に登場した。 これは、2001年の活動休止から約4年ぶりの登場である。 悲鳴のような歓声の中ステージに入るとメンバーは「JAM」を演奏し始めた。 このサプライズ演奏にオーディエンスは総立ち状態になっていた。 中には立っていられないほど号泣するオーディエンスもいた。 歌が終わりに差し掛かると、ライブにおける「JAM」の恒例であった終奏大合唱 が吉井のあおり立てで会場にいつまでも響き渡り、吉井が「ずっと歌っててください」と言うと笑いが起きた。 やがて会場は合唱に取って代わり悲痛な叫びと拍手に包まれた。 「JAM」1曲を演奏するとメンバーは去って行った。 このようにして「JAM」が解散にかかる有終の美となった。 ファンはの再結成までの間、バンドと別れることになった。 解散中のソロ活動においては、、40周年記念イベント『8. 25 オールナイトニッポン』でサプライズ企画としての演奏をバックに吉井が「JAM」を歌った。 後にTRICERATOPSはトリビュート・アルバムで「JAM」をカバーしている。 、『 オーラツー presents 』のアンコールにて吉井とのコラボで「JAM」が演奏された。 仲違いの解散ではなかったため、THE YELLOW MONKEYは解散中もメンバー間の交流があり普段からみんなで仲良く飲みに行っていた。 『 2010』の大トリを務める吉井は同じくソロ活動中の(EMMA)らをゲストに迎え、アンコールの最後に吉井と菊地はと共演し、「本当はヴォーカルがいるんですが、今日はワケあって来てません。 すぐに帰ってくると思います」と吉井からフジファブリックの亡きフロントマン・についてのMCがあり、「JAM」が演奏された。 吉井は『 2012』においてもバンドとソロの楽曲等から選曲された10曲の最後の曲に「JAM」を歌った。 2016年、15年ぶりに再集結し活動を再開した同年の『』に初出場を果たし「JAM」を歌唱、「解散する前、紅白に出ることが夢の一つだったので、きょうようやくかないました。 再集結してよかったです」と吉井は表明した。 同日のには歌詞全文を載せた上で「残念だけど、この国にはまだこの歌が必要だ」「今晩JAM歌います 2016年ありがとうございました デビュー25周年にむけて THE YELLOW MONKEY」のメッセージを記した一面広告 を掲載した。 「Tactics」 [ ] もう一方のA面「Tactics」は、5thアルバム『FOUR SEASONS』(1995年)からのである。 英語の「(単数: tactic)」とは、戦術、兵法といった意味である。 「ダンサブルなグルーヴを強調した」 、「アッパーなロック・ナンバー」で「70年代のグラム・ロックを思わせるような、煌びやかなアレンジもはまっている」このバンドらしさのある楽曲である。 で構成。 系アニメ『』エンディングテーマに起用された(1996年 - )。 同アニメは日本国外の諸地域でも放映され、「Tactics」は英語やなどの歌い手により諸地域で歌われている。 (HEESEY)が着用しているレザージャケットは1995年にで購入した。 制作背景 [ ] 「JAM」 [ ] 楽曲制作は、1995年9月、10月頃に行われた。 当時のディレクターである宗清裕之によると、吉井は、モット・ザ・フープルの「すべての若き野郎ども」という曲が頭にあり、「僕は日本の『すべての若き野郎ども』を作りたいんです」と語っていたという。 「ロックンロール・アンセム」を作りたいという思いが吉井たちにはあった。 吉井は本作について、「ある日自分が抱えている不条理を、全部紙に書いてそれに曲を乗せた7分近いバラードを作った。 社会的なこと、プライベートなこと等、思うことを遠慮なく全部書いた。 今ならそのまま世に出せるが、当時はそういうわけにはいかなかった。 少しずつ詩を削っていき、 5分ちょっとの曲になった」と語っている。 歌詞の「外国で飛行機が墜ちました〜」の部分が取り沙汰されることが多いが、吉井は重要なのはその後「こんな夜は逢いたくて〜また明日を待ってる」まで続くラインであると語っている。 また、このラインについて吉井は「ちょうどのとか、とかあって、子供を持つ身としては不安な世の中だったから、それも大きかった。 『君に逢いたくて』というくだりは、当時、娘に向けて書いたんです。 あまり家にいてやれなかったですし」と語っている。 さらに、その部分は当初メロディーが作られておらず、本番にアドリブで歌われた。 テイクワンの歌唱が採用されたが、最後の1フレーズで吉井が感極まって詰まってしまったため、そこだけ歌い直している。 吉井はシングル候補として「JAM」をコロムビアのディレクター・宗清裕之に提案したものの、コロムビアの宣伝会議では脅し文句が並べ立てられ、「我々宣伝がここまで培ってきたものをぶち壊す気ですか」「この曲じゃあテレビに出られません」「バラードで勝負なんて早いですよ」と、発売は強く反対された。 この理由として、スマッシュヒットとなった8thシングル「」がキャッチーでポップかつハードロックな楽曲であったため、コロムビアの宣伝・営業、そしてマスコミが同様の曲を望んでいたのであるという。 月刊誌『』1996年2月号(前月上旬発売)はそのような営利を突き付けられている状況を逆手に取り、レコード会社が発売に反対する問題作というストーリーに仕立て上げたインタビューを表紙に掲載した。 この巻頭特集の中で『音楽と人』編集長は、レコード会社やスタッフが現行路線を求めるのは分かるが日本のロックシーンと一線を画す「孤高のロック感が格好良い」このバンドに営利的方向性を持った「市場の論理」を武器として用いないでほしいと訴えた。 1996年に『TOUR'96 "FOR SEASON" at 日本武道館』で初披露されたものの 、吉井は演奏前のMCで発売が未定であることを説明していた。 しかし、当時のプロモーション担当であった中原繁がこの曲を気に入り、よく「」を熱唱していた魂の中原は「これは代表曲になるよ。 会社の上の人間がなんて言おうが、オレが絶対売ってやるよ」と、吉井に語り、バンドの所属事務所(上層部) に強く推したことでに発売が決定した。 ラジオ番組『吉井和哉のオールナイトニッポン』は阪神・淡路大震災から1年経過した1996年に「JAM」を初オンエアし、翌週以降もオンエアした。 このラジオ番組には『音楽と人』2月号を読んだリスナーからの手紙が届いた。 『吉井和哉のオールナイトニッポン』はで復興応援のチャリティー・ライブを開催した。 このライブは震源に最も近いが走るにおいて、1996年「」に小学校体育館で行われた『淡路島での新成人を祝うライブ』で、ライブのメンバーはTHE YELLOW MONKEYの4人とキーボードの。 「JAM」を初オンエアした1月17日(午前1:00 - 3:00)の放送は北淡町の旅館からの生放送で、ゲストはであった。 しかし、吉井は曲が削られてしまうことから「絶対に出ない」と語っていたが、プロモーターである中原繁の熱心な交渉によって異例の5分枠を取ることに成功。 アウトロ以外省略なし(歌詞の省略なし)で披露された。 後にTHE YELLOW MONKEYはレーベルを移籍し、移籍を機に中原繁もバンドの事務所 に連れて行こうとしたが、会社は親であるからと会社を裏切れないコロムビア社員の中原は誘いを断り、バンドは中原と袂を分かった。 新たなバンドを発掘して成功したら勝ちだと言っていた中原はをヒットさせた。 2000年、中原はのアマチュアバンドコンテスト会場で破裂により息を引き取った。 中原が会場トイレで倒れているのを発見したスタッフの話によると、トイレのスピーカーから聴こえていた会場の演奏は「JAM」のカバーであった。 中原の死は、解散危機のただ中にTHE YELLOW MONKEYに伝えられ、解散は棚上げとなり活動休止という話になった。 2000年7月にリリースされたシングル「」の歌詞の、語り掛けの相手は中原繁である。 名物プロモーターであった中原の死によりコロムビアのトライアドレーベルは空中分解が始まった。 トライアドレーベルは2007年に休止状態に入り、に吉井和哉がコロムビアに戻るとレーベルは復活した。 18年ぶりにトライアドレーベルに戻って来た吉井は、のトライアド(TRIAD)復活記念ライブ『TRIAD ROCKS -Columbia vs Triad-』において、中原が手掛けた想い出のロックンローラー・ミッシェル・ガン・エレファントのデビュー曲「」を中原のために歌い、続いて「JAM」を歌った。 吉井が幾度かに語っているが、・のカリスマ・シンガーで日本のスター・(ジュリー)の楽曲「」()と「JAM」は結びつきが強い。 吉井の表現によると、この2曲は「同じ引き出し」にある。 吉井のソロ・アルバム『』(2015年)には、「おまえがパラダイス」の吉井によるカバーが収録された。 「Tactics」 [ ] 『』のブックレットによると、吉井は以前から「Tactics」のシングル化を望んでいた。 1996年1月10日に開始となるテレビアニメ『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』のエンディングテーマに起用されたことで「JAM」とともに両A面シングルに収録された。 『るろうに剣心』は、1話から38話のオープニングテーマに起用されたの「」 、そのシーズンのエンディングテーマの一つとなる「Tactics」(1話から12話)を始めとするテーマソングが相次いで大ヒットしたことで放映当時話題となっていた。 アニメのエンディングで流れる「Tactics」は、映像と音楽をマッチさせたもので、番組を制作した系列会社の取締役は「歌詞に主人公の名前が登場するような、アニメ的な楽曲を使うことは最初から考えていなかった。 むしろ、アニメファンじゃない人が買おうと思える楽曲先行の作品を起用したかった」という。 エンディングテーマに関してはソニー系だけでなく他社のアーティストの楽曲も対象となった。 反応と評価 [ ] 当時のディレクターである宗清裕之(コロムビア)はこのシングルの予想順位を「30位」としており、バンドのマネージメント事務所「ボウィンマン」の社長である大森常正は「それ以下」としていた。 事務所の予想と裏腹に、1996年付のオリコンシングルチャートで初登場7位を記録し、8thシングル「」の最高位9位を更新した。 翌週には6位と順位をあげ、初登場から4週連続TO10入り、計5回のTOP10入りを記録した。 1996年3月度月間11位、4月度月間12位と、2か月間に渡って売れ続け、最終的には年間39位、売り上げは80万枚を記録した。 90万枚を売り上げた13thシングル「」に次いで、自身2番目の売り上げを記録している。 「JAM」 [ ] 吉井は以前、「最近取材なんかで、俺たちに影響を受けたっていう若くて有名なミュージシャン達と話すと、みんな『JAMは最高ですよ』って言ってくれる」と語っている。 の『』ではリスナーからの人気が特に高く、「週間」「月間」「年間」「心に残る90年代の曲 1999年末放送 」と、番組のあらゆるリクエストランキングで1位をとり続けた。 」でともに第1位となった。 に行われたベスト盤『』のファン投票では、19thシングル「」に次いで2位となっている。 また、『イエモン-FAN'S BEST SELECTION-』の特設サイトで行われた「私のTHE YELLOW MONKEY『この1曲』」という企画において、番組パーソナリティを務めたがこの曲を投票している。 2017年、の入学式(4月7日)で総長が「」の歌詞を紹介した その2週間ほど前、の卒業式(3月24日)では学長が次のように「JAM」を紹介した。 もちろん私たちも自分の国、自国の伝統や文化を愛する態度を大切にしたいと思います。 しかし、地球市民であるためには、自国民ではない人々にも思いをはせ、他国の伝統や文化を尊重することが必要です。 昨年、ノーベル文学賞がボブ・ディラン氏に与えられ、歌詞というものがもつ力を私たちに改めて示しましたが、外国の他者へ思いをはせることの大切さを、私は日本のロックバンド「The Yellow Monkey」の歌詞をとおしてつねづね思い起こしています。 この歌詞の一部を紹介させてください。 立石はこのように述べると「外国で飛行機が墜ちました」のくだりから最後までを朗読した。 「Tactics」 [ ] やTHE YELLOW MONKEYのオフィシャルフォトグラファーは 、「Tactics」で思い出されるのは1996年「野性の証明ツアー」の熱いステージで、「バンドがどんどん上がっていくときのオーラだったり、ファンの熱狂的な雰囲気だったり。 あのときはアイドルバンドだったよね、いい意味で。 ストーンズだって、アイドルだったわけだから」と振り返る。 2012年、実写映画『』公開を記念してレコチョクが行った「るろうに剣心名曲ランキング」のユーザー投票で、テレビアニメ版全10曲中(オープニング3曲、エンディング7曲)、「Tactics」は5位に付け、1位はJUDY AND MARY「そばかす」であった。 「JAM」が1位を獲得した2004年ORICON STYLE「あなたが選ぶ THE YELLOW MONKEY BEST1」では16位。 2013年『イエモン-FAN'S BEST SELECTION-』のファン投票34位。 「JAM」とニュース [ ] 「JAM」の飛行機事故に関するくだりは実際の出来事に基づくもので、吉井が世の中の不条理を書いていたあるときテレビをつけていると のニュースが流れた。 ニュースキャスターは「わりと満面の笑みで」日本人の乗客がいなかったことを伝えた。 邦人安否を伝えるにあたり、ニュースキャスターが満面の笑みで嬉しそうに見えるようなことがあってはならないであろうと吉井は疑問を感じた。 「JAM」をきっかけにを設立した実業家で研究者でもあるは、との2016年の対談で次のように語った。 ザ・イエロー・モンキーというバンドの『JAM』という曲をご存じですか。 そこに「外国で飛行機が落ちました。 ニュースキャスターは嬉しそうに『乗客に日本人はいませんでした』」と言ったという歌詞が出てきます。 これは象徴的な歌詞で、既存のニュースメディアは日本人に向けて発信されている。 つまり国民国家を前提としたメディアであるということがわかります。 僕は国家単位のニュースがいいとか悪いという議論をするつもりはありません。 ただ、オルタナティブとして、国民国家を前提としない情報伝達の仕方があってもいいんじゃないかと思ってます。 こうした、自国民に被害がないという事実が出て来たところで思考停止し、異質な他者への想像力が不在の内向きな思考が日本の既存ニュースメディアにあり 、吉井は2015年のトライアド復活ライブ『TRIAD ROCKS -Columbia vs Triad-』において飛行機事故のニュースに関して次のように語った後に「JAM」を歌った。 今聞くとウソみたいと思うかもしれないけどさ、昔は外国で飛行機事故があったとき、ニュースキャスターは笑顔で「乗客に日本人はいませんでした」って言ってたんだよ。 そう考えると、この曲を作ってよかったんだと思える。 2016年に出演したテレビ番組『』で語ったところによると、吉井はニュースキャスターが「わりと満面の笑み」であったことについて、「嬉しそうにするのはまずいんじゃないの? 」と思ったということであった。 ミュージック・ビデオ [ ] 「JAM」のは自らの監督で撮影された。 この曲のPV配信と同日に、バンドの全シングルがで配信を開始した。 またさらに同日発売された吉井和哉のソロ・シングル「」のPVに、「JAM」のPVに出演した小学校4年生の男の子()と小学校5年生の女の子が再度成長した姿で出演している。 吉井のソロ・アルバム『』リリースに合わせたスペースシャワーTVの特集番組『吉井和哉 SPECIAL 〜VOLT〜』(2009年)で吉井は三嶋をゲストに迎えた。 」は、日本コロムビアがTHE YELLOW MONKEYのデビュー20周年に、すべてのアルバムとPVを共に各音楽配信サイトで一斉配信を2012年から行うことを記念した企画である。 この企画に合わせてのTHE YELLOW MONKEY公式チャンネル(日本コロムビア)が開設され、「JAM」PVがYouTube公式チャンネル上で前半部のみ視聴可能となった。 「JAM」PVは版もあり、通常の「JAM」PVにはないシーンを見ることができ、DVD『』()、DVD『』(2004年)に収録されている。 「バッカ」PVでフィナーレに向かう中で使用される女の子の手首から血のりが流れる演出は 、「JAM」PVディレクターズ・カット版のものである。 2017年の新録アルバム『THE YELLOW MONKEY IS HERE. NEW BEST』のミュージック・ビデオ『TYM's hacking movie』において「JAM」が新たにTHE YELLOW MONKEYによって演奏されている。 このビデオは、新録アルバムから6曲を特集した5分30秒のダイジェストムービーである。 それぞれの曲前にアルバムのキャラクター「TYM」(タイム)のナレーションが入り、声の主は吉井がリスペクトするである。 新録アルバムの音源はスタジオ録音でありながら凝った作り込みはなく、距離の近いライブハウスのような作品に仕上がっている。 JAM [5:18]• Tactics [4:28]• JAM Karaoke [5:18]• Tactics Karaoke [4:28] 収録作品 [ ] JAM• 『』(1997年12月10日)• 『』(1998年12月10日)• 『』(2004年12月8日)• 『』(2013年7月31日) Tactics• 『TRIAD COMPLETE BOX』(1997年12月10日)• 『THE YELLOW MONKEY SINGLE COLLECTION』(1998年12月10日)• 『MOTHER OF ALL THE BEST』(2004年12月8日)• (2009年10月10日、『ROLLING ROCKS Vol. (2010年7月16日-7月17日、「TAKUI NAKAJIMA 24hour LIVE on 」 、2011年10月21日-10月22日、「TAKUI NAKAJIMA 24hour LIVE on USTREAM Vol. (2014年6月16日、『』)• (2014年10月22日、カバー・アルバム『』)• 同ライブではとのコラボレーションで「」もカバーした。 マルク・ウィンスロー(Marc Winslow)の・バージョンも存在する。 は声優であるとのユニットで、2人がパーソナリティを務めるラジオ番組『』から誕生した。 (2016年12月7日、ミニアルバム『SALLY e. 吉井和哉(2008年DVD「」、2015年シングル「クリア」) 脚注 [ ] 注釈 [ ] 目から鱗の連続! 改めて、凄く影響を受けていることを再認識しました 世界一切ないロックンロールバンド• このアルバムは『』(1997年)の前よりモット・ザ・フープル「」("Honaloochie Boogie")を収録(初出)。 1980年代から日本に在住するフィッシャーは『』(1994年)の数曲に参加し 、後に『』(1998年)収録「SEA」に参加。 フィッシャーは2009年の『』にも参加した。 ライブでは最後に「Year year … , I'm a dreamer …. Year year … , are you a dreamer... 」というフレーズの掛け合いがバンドとオーディエンスの間で行われる。 この「JAM新聞広告」は、クリエイター・が手掛けた。 2016年制作の映画『』の監督を務めた長久允は、同映画の主人公あかね役・と、あかねの未来の姿役・を再度起用して「母と娘とザ・イエロー・モンキー 『』CM」を監督した。 「『砂の塔』CM」で母役の並木愛枝がイヤホンをして泣いているのは、「JAM」を聴いている。 2007年1月8日に4人のメンバーのうち吉井のみ独立。 「そばかす」は、1995年11月リリースのアルバム『FOUR SEASONS』に既に収録されていた「Tactics」とは異なり、アニメとのタイアップが決まってから(何のアニメか、どんなストーリーか分からないまま)曲は作られた。 吉井和哉と有賀の2人はストーンズの2013年公演(「」、「」、「」、「」など全19曲を演奏。 アルバム『』としてリリース)を体験し、この公演についてトークセッションを行った。 このライブを観て吉井はTHE YELLOW MONKEYの再結成に向けて動き始めた。 飛行機事故のさらに詳細なリストは英語版「」を参照。 日本におけるの「」(国内において受信されることを目的とする放送)区分において、自国民の安否を中心に放送する根拠となる具体的な文言はない。 「国内放送」に関する言及は、放送法第四条第1項に、「国内放送」及び「」の規定として、「一 公安及び善良な風俗を害しないこと。 二 政治的に公平であること。 三 報道は事実をまげないですること。 四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。 」とある。 出典注 [ ]• 、386頁。 , , 2016年12月29日 ,• Chris Hall, Mike Kerry 共同監督 2012年4月14日. YouTube. , モーガン・フィッシャー公式サイト, 2002年12月 更新 ,• , hot express music magazine, 2009年12月3日 ,• , hot express music magazine, 2001年1月8日 ,• , , 2004年12月27日 ,• , , 2007年8月27日 ,• , , 2009年8月17日 ,• , , 2016年10月23日 ,• , RO69, 2010年5月16日 ,• , , 2012年8月19日 ,• 長久允, , ,• , , 2016年12月31日 ,• , CDジャーナル ,• , ,• 廣瀬洋一 2012年12月13日 , , 廣瀬 "HEESEY" 洋一 OFFICIAL WEBSITE ,• 『ROCKIN'ON JAPAN』 1996年2月号• 向原康太 2016年10月16日 , , Real Sound ,• 52 SPRING 2007• , ナタリー, 2012年9月20日 ,• 2007年8月9日 , , オールナイトニッポン40周年 ,• 渡辺佳紀 2015年7月9日 , , JADO Japan Designers Organization ,• , ザテレビジョン, 2015年5月21日 ,• 『』 2014年11月10日 放送• , , 2015年10月23日 ,• , ナタリー, 2012年6月20日 ,• 鶴谷真 2017年5月25日 , , ,• , , 2017年3月24日 ,• , , 2013年9月20日 ,• , , 2016年10月23日 ,• , , 2012年8月23日 ,• , 『』2016年2月29日号 田原総一朗の「次代への遺言」 ,• 中村拓海 2015年5月20日 , , Real Sound ,• , BARKS, 2007年12月18日 ,• , BARKS, 2007年12月19日 ,• , ナタリー, 2012年6月6日 ,• 監督 2010年3月24日. YouTube. , BARKS, 2017年5月18日 ,• , , 2017年5月21日 ,• 廣瀬洋一 2009年10月11日 , , 廣瀬 "HEESEY" 洋一 OFFICIAL WEBSITE ,• , BARKS, 2010年7月17日 ,• , BARKS, 2011年10月22日 ,• MADOKA 歌手 2011年5月30日. YouTube. MADOKA公式サイト 9muses-trap. , BARKS, 2011年9月27日 ,• , , 2011年11月30日 ,• , ナタリー, 2013年11月22日 ,• , ,• , ORICON NEWS, 2014年7月28日 ,• , BARKS, 2016年4月13日 ,• , ナタリー, 2016年3月25日 ,• , , 2017年3月27日 ,• , ,• , RO69, 2016年11月1日 , 参考文献 [ ]• 吉井和哉『吉井和哉の㊙おセンチ日記』、1996年。 THE YELLOW MONKEY『COMPLETE BURN』ロッキング・オン、2005年。 吉井和哉『吉井和哉自伝 失われた愛を求めて』ロッキング・オン、2007年。 外部リンク [ ]•

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THE YELLOW MONKEY

ザ イエロー モンキー jam

概要 [ ] 前作からおよそ半年ぶり、5thアルバム『』()発売後初のシングル作品。 THE YELLOW MONKEY唯一のでもある。 ロングヒットとなり、累計80万枚をセールス (オリコンでは60万枚)。 13thシングル「」に次いで、自身2番目の売り上げを記録している。 「JAM」 [ ] 一方のA面「JAM」は、「ヘヴィな音像と憂いを帯びたメロディを軸にしたバラードナンバー」であり、THE YELLOW MONKEYのブレイクを決定的にした楽曲である。 で構成されているのロックバラード。 『』エンディングテーマに起用された(1996年 - )。 この作品の後にシングル「」をトライアドレーベルへの置き土産にTHE YELLOW MONKEYは(現・)へのレーベル移籍を発表する。 よって、「JAM」「SPARK」の2曲は製作時期が1年以内とほぼ重なっているにもかかわらず権利面の関係もありアルバム『』()には未収録となった。 「公式の」アルバムに収録される機会を逃し、公式アルバムに初収録されたのは解散後のに発売された『』であった。 ライブでは、「THE YELLOW MONKEYという王国があったとしたら、その国の国歌として聴いてほしい」と紹介されている。 「JAM」にはモチーフとなる楽曲があり、それはにが解散危機のグラムロックバンド・に提供した楽曲「」である。 モット・ザ・フープルは、THE YELLOW MONKEYがリスペクトしているバンドの一つである。 THE YELLOW MONKEYはそれまでにもフィッシャーと一緒に仕事をしたことがある。 「JAM」を制作した当時30歳前後の、子供という年齢ではなく大人としても若かったこのバンドのメンバーたちにとって「JAM」は、『パンチドランカー・ツアー』( - )で音響スタッフが転落事故死したことや、難航したリリース当時の担当で吉井和哉と同い年の友人の中原繁が3月に急死したことが思い出される特別な楽曲であるということが吉井により語られている。 11月、バンドは1月『メカラ ウロコ・8』大阪・東京公演を以ての活動休止を発表した。 この公演で中盤を過ぎる頃、吉井のMCで改めて休業宣言があり、亡くなった中原繁と『パンチドランカー・ツアー』スタッフに捧げるものであると伝えられ「JAM」の演奏が行われた。 2004年7月のTHE YELLOW MONKEY解散後、展示会・フィルムコンサート『メカラウロコ・15』が日本各地10か所で開催され、東京ドームでの『メカラウロコ・15』最終日はメンバー挨拶が予定されていた。 東京ドームに再集結したメンバーは、ということで黒系統の服でオーディエンスの前に登場した。 これは、2001年の活動休止から約4年ぶりの登場である。 悲鳴のような歓声の中ステージに入るとメンバーは「JAM」を演奏し始めた。 このサプライズ演奏にオーディエンスは総立ち状態になっていた。 中には立っていられないほど号泣するオーディエンスもいた。 歌が終わりに差し掛かると、ライブにおける「JAM」の恒例であった終奏大合唱 が吉井のあおり立てで会場にいつまでも響き渡り、吉井が「ずっと歌っててください」と言うと笑いが起きた。 やがて会場は合唱に取って代わり悲痛な叫びと拍手に包まれた。 「JAM」1曲を演奏するとメンバーは去って行った。 このようにして「JAM」が解散にかかる有終の美となった。 ファンはの再結成までの間、バンドと別れることになった。 解散中のソロ活動においては、、40周年記念イベント『8. 25 オールナイトニッポン』でサプライズ企画としての演奏をバックに吉井が「JAM」を歌った。 後にTRICERATOPSはトリビュート・アルバムで「JAM」をカバーしている。 、『 オーラツー presents 』のアンコールにて吉井とのコラボで「JAM」が演奏された。 仲違いの解散ではなかったため、THE YELLOW MONKEYは解散中もメンバー間の交流があり普段からみんなで仲良く飲みに行っていた。 『 2010』の大トリを務める吉井は同じくソロ活動中の(EMMA)らをゲストに迎え、アンコールの最後に吉井と菊地はと共演し、「本当はヴォーカルがいるんですが、今日はワケあって来てません。 すぐに帰ってくると思います」と吉井からフジファブリックの亡きフロントマン・についてのMCがあり、「JAM」が演奏された。 吉井は『 2012』においてもバンドとソロの楽曲等から選曲された10曲の最後の曲に「JAM」を歌った。 2016年、15年ぶりに再集結し活動を再開した同年の『』に初出場を果たし「JAM」を歌唱、「解散する前、紅白に出ることが夢の一つだったので、きょうようやくかないました。 再集結してよかったです」と吉井は表明した。 同日のには歌詞全文を載せた上で「残念だけど、この国にはまだこの歌が必要だ」「今晩JAM歌います 2016年ありがとうございました デビュー25周年にむけて THE YELLOW MONKEY」のメッセージを記した一面広告 を掲載した。 「Tactics」 [ ] もう一方のA面「Tactics」は、5thアルバム『FOUR SEASONS』(1995年)からのである。 英語の「(単数: tactic)」とは、戦術、兵法といった意味である。 「ダンサブルなグルーヴを強調した」 、「アッパーなロック・ナンバー」で「70年代のグラム・ロックを思わせるような、煌びやかなアレンジもはまっている」このバンドらしさのある楽曲である。 で構成。 系アニメ『』エンディングテーマに起用された(1996年 - )。 同アニメは日本国外の諸地域でも放映され、「Tactics」は英語やなどの歌い手により諸地域で歌われている。 (HEESEY)が着用しているレザージャケットは1995年にで購入した。 制作背景 [ ] 「JAM」 [ ] 楽曲制作は、1995年9月、10月頃に行われた。 当時のディレクターである宗清裕之によると、吉井は、モット・ザ・フープルの「すべての若き野郎ども」という曲が頭にあり、「僕は日本の『すべての若き野郎ども』を作りたいんです」と語っていたという。 「ロックンロール・アンセム」を作りたいという思いが吉井たちにはあった。 吉井は本作について、「ある日自分が抱えている不条理を、全部紙に書いてそれに曲を乗せた7分近いバラードを作った。 社会的なこと、プライベートなこと等、思うことを遠慮なく全部書いた。 今ならそのまま世に出せるが、当時はそういうわけにはいかなかった。 少しずつ詩を削っていき、 5分ちょっとの曲になった」と語っている。 歌詞の「外国で飛行機が墜ちました〜」の部分が取り沙汰されることが多いが、吉井は重要なのはその後「こんな夜は逢いたくて〜また明日を待ってる」まで続くラインであると語っている。 また、このラインについて吉井は「ちょうどのとか、とかあって、子供を持つ身としては不安な世の中だったから、それも大きかった。 『君に逢いたくて』というくだりは、当時、娘に向けて書いたんです。 あまり家にいてやれなかったですし」と語っている。 さらに、その部分は当初メロディーが作られておらず、本番にアドリブで歌われた。 テイクワンの歌唱が採用されたが、最後の1フレーズで吉井が感極まって詰まってしまったため、そこだけ歌い直している。 吉井はシングル候補として「JAM」をコロムビアのディレクター・宗清裕之に提案したものの、コロムビアの宣伝会議では脅し文句が並べ立てられ、「我々宣伝がここまで培ってきたものをぶち壊す気ですか」「この曲じゃあテレビに出られません」「バラードで勝負なんて早いですよ」と、発売は強く反対された。 この理由として、スマッシュヒットとなった8thシングル「」がキャッチーでポップかつハードロックな楽曲であったため、コロムビアの宣伝・営業、そしてマスコミが同様の曲を望んでいたのであるという。 月刊誌『』1996年2月号(前月上旬発売)はそのような営利を突き付けられている状況を逆手に取り、レコード会社が発売に反対する問題作というストーリーに仕立て上げたインタビューを表紙に掲載した。 この巻頭特集の中で『音楽と人』編集長は、レコード会社やスタッフが現行路線を求めるのは分かるが日本のロックシーンと一線を画す「孤高のロック感が格好良い」このバンドに営利的方向性を持った「市場の論理」を武器として用いないでほしいと訴えた。 1996年に『TOUR'96 "FOR SEASON" at 日本武道館』で初披露されたものの 、吉井は演奏前のMCで発売が未定であることを説明していた。 しかし、当時のプロモーション担当であった中原繁がこの曲を気に入り、よく「」を熱唱していた魂の中原は「これは代表曲になるよ。 会社の上の人間がなんて言おうが、オレが絶対売ってやるよ」と、吉井に語り、バンドの所属事務所(上層部) に強く推したことでに発売が決定した。 ラジオ番組『吉井和哉のオールナイトニッポン』は阪神・淡路大震災から1年経過した1996年に「JAM」を初オンエアし、翌週以降もオンエアした。 このラジオ番組には『音楽と人』2月号を読んだリスナーからの手紙が届いた。 『吉井和哉のオールナイトニッポン』はで復興応援のチャリティー・ライブを開催した。 このライブは震源に最も近いが走るにおいて、1996年「」に小学校体育館で行われた『淡路島での新成人を祝うライブ』で、ライブのメンバーはTHE YELLOW MONKEYの4人とキーボードの。 「JAM」を初オンエアした1月17日(午前1:00 - 3:00)の放送は北淡町の旅館からの生放送で、ゲストはであった。 しかし、吉井は曲が削られてしまうことから「絶対に出ない」と語っていたが、プロモーターである中原繁の熱心な交渉によって異例の5分枠を取ることに成功。 アウトロ以外省略なし(歌詞の省略なし)で披露された。 後にTHE YELLOW MONKEYはレーベルを移籍し、移籍を機に中原繁もバンドの事務所 に連れて行こうとしたが、会社は親であるからと会社を裏切れないコロムビア社員の中原は誘いを断り、バンドは中原と袂を分かった。 新たなバンドを発掘して成功したら勝ちだと言っていた中原はをヒットさせた。 2000年、中原はのアマチュアバンドコンテスト会場で破裂により息を引き取った。 中原が会場トイレで倒れているのを発見したスタッフの話によると、トイレのスピーカーから聴こえていた会場の演奏は「JAM」のカバーであった。 中原の死は、解散危機のただ中にTHE YELLOW MONKEYに伝えられ、解散は棚上げとなり活動休止という話になった。 2000年7月にリリースされたシングル「」の歌詞の、語り掛けの相手は中原繁である。 名物プロモーターであった中原の死によりコロムビアのトライアドレーベルは空中分解が始まった。 トライアドレーベルは2007年に休止状態に入り、に吉井和哉がコロムビアに戻るとレーベルは復活した。 18年ぶりにトライアドレーベルに戻って来た吉井は、のトライアド(TRIAD)復活記念ライブ『TRIAD ROCKS -Columbia vs Triad-』において、中原が手掛けた想い出のロックンローラー・ミッシェル・ガン・エレファントのデビュー曲「」を中原のために歌い、続いて「JAM」を歌った。 吉井が幾度かに語っているが、・のカリスマ・シンガーで日本のスター・(ジュリー)の楽曲「」()と「JAM」は結びつきが強い。 吉井の表現によると、この2曲は「同じ引き出し」にある。 吉井のソロ・アルバム『』(2015年)には、「おまえがパラダイス」の吉井によるカバーが収録された。 「Tactics」 [ ] 『』のブックレットによると、吉井は以前から「Tactics」のシングル化を望んでいた。 1996年1月10日に開始となるテレビアニメ『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』のエンディングテーマに起用されたことで「JAM」とともに両A面シングルに収録された。 『るろうに剣心』は、1話から38話のオープニングテーマに起用されたの「」 、そのシーズンのエンディングテーマの一つとなる「Tactics」(1話から12話)を始めとするテーマソングが相次いで大ヒットしたことで放映当時話題となっていた。 アニメのエンディングで流れる「Tactics」は、映像と音楽をマッチさせたもので、番組を制作した系列会社の取締役は「歌詞に主人公の名前が登場するような、アニメ的な楽曲を使うことは最初から考えていなかった。 むしろ、アニメファンじゃない人が買おうと思える楽曲先行の作品を起用したかった」という。 エンディングテーマに関してはソニー系だけでなく他社のアーティストの楽曲も対象となった。 反応と評価 [ ] 当時のディレクターである宗清裕之(コロムビア)はこのシングルの予想順位を「30位」としており、バンドのマネージメント事務所「ボウィンマン」の社長である大森常正は「それ以下」としていた。 事務所の予想と裏腹に、1996年付のオリコンシングルチャートで初登場7位を記録し、8thシングル「」の最高位9位を更新した。 翌週には6位と順位をあげ、初登場から4週連続TO10入り、計5回のTOP10入りを記録した。 1996年3月度月間11位、4月度月間12位と、2か月間に渡って売れ続け、最終的には年間39位、売り上げは80万枚を記録した。 90万枚を売り上げた13thシングル「」に次いで、自身2番目の売り上げを記録している。 「JAM」 [ ] 吉井は以前、「最近取材なんかで、俺たちに影響を受けたっていう若くて有名なミュージシャン達と話すと、みんな『JAMは最高ですよ』って言ってくれる」と語っている。 の『』ではリスナーからの人気が特に高く、「週間」「月間」「年間」「心に残る90年代の曲 1999年末放送 」と、番組のあらゆるリクエストランキングで1位をとり続けた。 」でともに第1位となった。 に行われたベスト盤『』のファン投票では、19thシングル「」に次いで2位となっている。 また、『イエモン-FAN'S BEST SELECTION-』の特設サイトで行われた「私のTHE YELLOW MONKEY『この1曲』」という企画において、番組パーソナリティを務めたがこの曲を投票している。 2017年、の入学式(4月7日)で総長が「」の歌詞を紹介した その2週間ほど前、の卒業式(3月24日)では学長が次のように「JAM」を紹介した。 もちろん私たちも自分の国、自国の伝統や文化を愛する態度を大切にしたいと思います。 しかし、地球市民であるためには、自国民ではない人々にも思いをはせ、他国の伝統や文化を尊重することが必要です。 昨年、ノーベル文学賞がボブ・ディラン氏に与えられ、歌詞というものがもつ力を私たちに改めて示しましたが、外国の他者へ思いをはせることの大切さを、私は日本のロックバンド「The Yellow Monkey」の歌詞をとおしてつねづね思い起こしています。 この歌詞の一部を紹介させてください。 立石はこのように述べると「外国で飛行機が墜ちました」のくだりから最後までを朗読した。 「Tactics」 [ ] やTHE YELLOW MONKEYのオフィシャルフォトグラファーは 、「Tactics」で思い出されるのは1996年「野性の証明ツアー」の熱いステージで、「バンドがどんどん上がっていくときのオーラだったり、ファンの熱狂的な雰囲気だったり。 あのときはアイドルバンドだったよね、いい意味で。 ストーンズだって、アイドルだったわけだから」と振り返る。 2012年、実写映画『』公開を記念してレコチョクが行った「るろうに剣心名曲ランキング」のユーザー投票で、テレビアニメ版全10曲中(オープニング3曲、エンディング7曲)、「Tactics」は5位に付け、1位はJUDY AND MARY「そばかす」であった。 「JAM」が1位を獲得した2004年ORICON STYLE「あなたが選ぶ THE YELLOW MONKEY BEST1」では16位。 2013年『イエモン-FAN'S BEST SELECTION-』のファン投票34位。 「JAM」とニュース [ ] 「JAM」の飛行機事故に関するくだりは実際の出来事に基づくもので、吉井が世の中の不条理を書いていたあるときテレビをつけていると のニュースが流れた。 ニュースキャスターは「わりと満面の笑みで」日本人の乗客がいなかったことを伝えた。 邦人安否を伝えるにあたり、ニュースキャスターが満面の笑みで嬉しそうに見えるようなことがあってはならないであろうと吉井は疑問を感じた。 「JAM」をきっかけにを設立した実業家で研究者でもあるは、との2016年の対談で次のように語った。 ザ・イエロー・モンキーというバンドの『JAM』という曲をご存じですか。 そこに「外国で飛行機が落ちました。 ニュースキャスターは嬉しそうに『乗客に日本人はいませんでした』」と言ったという歌詞が出てきます。 これは象徴的な歌詞で、既存のニュースメディアは日本人に向けて発信されている。 つまり国民国家を前提としたメディアであるということがわかります。 僕は国家単位のニュースがいいとか悪いという議論をするつもりはありません。 ただ、オルタナティブとして、国民国家を前提としない情報伝達の仕方があってもいいんじゃないかと思ってます。 こうした、自国民に被害がないという事実が出て来たところで思考停止し、異質な他者への想像力が不在の内向きな思考が日本の既存ニュースメディアにあり 、吉井は2015年のトライアド復活ライブ『TRIAD ROCKS -Columbia vs Triad-』において飛行機事故のニュースに関して次のように語った後に「JAM」を歌った。 今聞くとウソみたいと思うかもしれないけどさ、昔は外国で飛行機事故があったとき、ニュースキャスターは笑顔で「乗客に日本人はいませんでした」って言ってたんだよ。 そう考えると、この曲を作ってよかったんだと思える。 2016年に出演したテレビ番組『』で語ったところによると、吉井はニュースキャスターが「わりと満面の笑み」であったことについて、「嬉しそうにするのはまずいんじゃないの? 」と思ったということであった。 ミュージック・ビデオ [ ] 「JAM」のは自らの監督で撮影された。 この曲のPV配信と同日に、バンドの全シングルがで配信を開始した。 またさらに同日発売された吉井和哉のソロ・シングル「」のPVに、「JAM」のPVに出演した小学校4年生の男の子()と小学校5年生の女の子が再度成長した姿で出演している。 吉井のソロ・アルバム『』リリースに合わせたスペースシャワーTVの特集番組『吉井和哉 SPECIAL 〜VOLT〜』(2009年)で吉井は三嶋をゲストに迎えた。 」は、日本コロムビアがTHE YELLOW MONKEYのデビュー20周年に、すべてのアルバムとPVを共に各音楽配信サイトで一斉配信を2012年から行うことを記念した企画である。 この企画に合わせてのTHE YELLOW MONKEY公式チャンネル(日本コロムビア)が開設され、「JAM」PVがYouTube公式チャンネル上で前半部のみ視聴可能となった。 「JAM」PVは版もあり、通常の「JAM」PVにはないシーンを見ることができ、DVD『』()、DVD『』(2004年)に収録されている。 「バッカ」PVでフィナーレに向かう中で使用される女の子の手首から血のりが流れる演出は 、「JAM」PVディレクターズ・カット版のものである。 2017年の新録アルバム『THE YELLOW MONKEY IS HERE. NEW BEST』のミュージック・ビデオ『TYM's hacking movie』において「JAM」が新たにTHE YELLOW MONKEYによって演奏されている。 このビデオは、新録アルバムから6曲を特集した5分30秒のダイジェストムービーである。 それぞれの曲前にアルバムのキャラクター「TYM」(タイム)のナレーションが入り、声の主は吉井がリスペクトするである。 新録アルバムの音源はスタジオ録音でありながら凝った作り込みはなく、距離の近いライブハウスのような作品に仕上がっている。 JAM [5:18]• Tactics [4:28]• JAM Karaoke [5:18]• Tactics Karaoke [4:28] 収録作品 [ ] JAM• 『』(1997年12月10日)• 『』(1998年12月10日)• 『』(2004年12月8日)• 『』(2013年7月31日) Tactics• 『TRIAD COMPLETE BOX』(1997年12月10日)• 『THE YELLOW MONKEY SINGLE COLLECTION』(1998年12月10日)• 『MOTHER OF ALL THE BEST』(2004年12月8日)• (2009年10月10日、『ROLLING ROCKS Vol. (2010年7月16日-7月17日、「TAKUI NAKAJIMA 24hour LIVE on 」 、2011年10月21日-10月22日、「TAKUI NAKAJIMA 24hour LIVE on USTREAM Vol. (2014年6月16日、『』)• (2014年10月22日、カバー・アルバム『』)• 同ライブではとのコラボレーションで「」もカバーした。 マルク・ウィンスロー(Marc Winslow)の・バージョンも存在する。 は声優であるとのユニットで、2人がパーソナリティを務めるラジオ番組『』から誕生した。 (2016年12月7日、ミニアルバム『SALLY e. 吉井和哉(2008年DVD「」、2015年シングル「クリア」) 脚注 [ ] 注釈 [ ] 目から鱗の連続! 改めて、凄く影響を受けていることを再認識しました 世界一切ないロックンロールバンド• このアルバムは『』(1997年)の前よりモット・ザ・フープル「」("Honaloochie Boogie")を収録(初出)。 1980年代から日本に在住するフィッシャーは『』(1994年)の数曲に参加し 、後に『』(1998年)収録「SEA」に参加。 フィッシャーは2009年の『』にも参加した。 ライブでは最後に「Year year … , I'm a dreamer …. Year year … , are you a dreamer... 」というフレーズの掛け合いがバンドとオーディエンスの間で行われる。 この「JAM新聞広告」は、クリエイター・が手掛けた。 2016年制作の映画『』の監督を務めた長久允は、同映画の主人公あかね役・と、あかねの未来の姿役・を再度起用して「母と娘とザ・イエロー・モンキー 『』CM」を監督した。 「『砂の塔』CM」で母役の並木愛枝がイヤホンをして泣いているのは、「JAM」を聴いている。 2007年1月8日に4人のメンバーのうち吉井のみ独立。 「そばかす」は、1995年11月リリースのアルバム『FOUR SEASONS』に既に収録されていた「Tactics」とは異なり、アニメとのタイアップが決まってから(何のアニメか、どんなストーリーか分からないまま)曲は作られた。 吉井和哉と有賀の2人はストーンズの2013年公演(「」、「」、「」、「」など全19曲を演奏。 アルバム『』としてリリース)を体験し、この公演についてトークセッションを行った。 このライブを観て吉井はTHE YELLOW MONKEYの再結成に向けて動き始めた。 飛行機事故のさらに詳細なリストは英語版「」を参照。 日本におけるの「」(国内において受信されることを目的とする放送)区分において、自国民の安否を中心に放送する根拠となる具体的な文言はない。 「国内放送」に関する言及は、放送法第四条第1項に、「国内放送」及び「」の規定として、「一 公安及び善良な風俗を害しないこと。 二 政治的に公平であること。 三 報道は事実をまげないですること。 四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。 」とある。 出典注 [ ]• 、386頁。 , , 2016年12月29日 ,• Chris Hall, Mike Kerry 共同監督 2012年4月14日. 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